読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Jablogy

Sound, Language, and Human

川田順造 1988 『聲』 筑摩書房 (1)

概要

『音・ことば・人間』でも紹介した、西アフリカ・ブルキナ・ファソのモシ族を調査してきた川田順造による、声とそれを使ったコミュニケーションの文化的な側面を考察するエッセイ集で、『現代詩手帖』(思潮社)で1985年3月号から1986年11月号まで連載されたものに加筆してまとめたものである。

全体的な内容の紹介と目次を筑摩書房のサイトから引用する。

紹介文

思慕し、誇示し、たたえ、名づける声。神に、王に、恋する者に、生まれ出た者に、死者に向って発せられる声。すぐれて個別的かつ制度的な声。声をめぐり、アフリカの無文字社会でのフィールド・ワークにはじまる考察は、日本・ヨーロッパ諸語の擬声語・擬態語、音感、類音類義、楽器と言語、語り、民話、音楽…人称と、さまざまな事象に及ぶ。声の豊饒な沃野のなかに近代社会の個性(ペルソナ)の裡の姿を浮かび上がらせる。

目次


1 権力の声、戯れる声
2 音声の象徴
3 音と意味
4 類音類義
5 楽器音と言語音
6 声で奏することと楽器で語ること
7 音の共感覚


8 名を呼ぶ
9 うたう、あてこする
10 死者の名を呼ぶ
11 名をたたえる―声の芸人たち
12 ほめる声、おびやかす声
13 名とうたのあいだ


14 語りの人称
15 ことばの職人、ものの職人
16 人称の多重性
17 声とペルソナ
18 記号をこえて

以上からわかるように、声のコミュニケーションの様々な側面を考察しているが、事象が多岐に渡る分、理論的な抽象化の程度はあまり高くなく、一つの仮説や理論枠組みを例証するという形式は取っていない。

しかし、取り上げられている民族誌的データはいきいきとしていて、個々の事例・事象への洞察はひらめきと熟慮に富んでいるので、私達が歌やキャラクターについて考える際にも有益な示唆を与えてくれると筆者は考える。参考文献が多数きちんと示されているのもよい*1

全体の構成は大きく三部にわかれている。

Ⅰでは、言語のうち、分節的な(普通の用法での)意味の側面ではなく、音や音素そのものがもっている象徴的な意味や語感についての議論が展開されている。

Ⅱでは名前を呼ぶ・呼びかけることを中心とした、声によるコミュニケーションの様態が論じられている。川田は名や歌などが社会的な関係をつくり、またそこに埋め込まれていることに注目している。

Ⅲではそうしたコミュニケーションにおいて語りかける/られるものの人称性を論じている。私の多重化や非人称化される歌、非・近代社会における個性といったことが取り上げられている。

では、それぞれの部・章ごとの議論をみていこう。なお、原著では部はローマ数字で示されるのみでタイトルはついていないが、全体のイメージが掴めるよう見出し語を筆者が付した。

Ⅰ 言語音が持つ意味

1 権力の声、戯れる声

この章は通常の本でいう序文にあたる章となっている。通常の論理や意味を扱う言語論では見過ごされがちな、言葉の身体的・韻律的・感性的な側面へと読者の眼を向けるべく、また後に詳しく論じる事例の紹介としてフィールドの経験――王の/王への言葉を取り次ぐ臣下、モシ王国の選挙、憑霊儀礼、音調合わせの言葉遊び――を提示している。

続く三つの章では、言葉の音自体(韻律的側面)と意味との関係が論じられている。

2 音声の象徴

本章で川田はは後続の議論のために理論的な整理を行っている。

まず、ソシュール以来、語と対象(シニフィアンシニフィエ)との間に本来的な繋がりはなく、たまたま・語同士の差異にもとづいて対応が決まっていることが知られている。これを恣意性と呼ぶが、川田の用語では無契性といっている(逆に本来的な繋がりがあれば「有契的」となる)。後に言語の韻律的側面と意味とで有形的な繋がりがある部分とそうでない部分を論じていくことになる。

もう一つの整理はオノマトペなどとして知られる言語領域に関する用語法である。次のように、川田は言語音を三つの領域に大別している。

言語音Ⅰは音と意味との結びつきが恣意的な、通常の概念化された意味の領域。

言語音Ⅱは表象作用(音象徴性ともいう)をもつ言語音の領域で、そうした語の全体を「表象語(ideophone)」と総称する。下位区分として非言語音を表す「表音語」、音以外の感覚を表す「表容語」を設けている*2

言語音Ⅲは特に何も表彰せず、音声が直接感覚に訴える語の領域である(「ズイズイズッコロバシ」「オッペケペー」など)。三つの領域の働きをそれぞれ「表意作用」「表象作用」「感覚作用」と川田はしている。

3 音と意味

ここでは、ヤーコブソンのいう弁別的特徴≒音素がもつ音象徴性についての議論が行なわれている。

たとえば母音の象徴性についてある実験を引用して、ヨーロッパ諸語では[i]には明るい、小さい、とがった、かたい、速いといった性質が結びついており、[u][o][a]などには暗い、大きい、やわらかい、などの意味が結びついている、と川田は述べている。

日本語でも、大小の感覚について[a]がもっとも大きく、[o][e][u]が続き、[i]がもっとも小さいと感じられている、ということを示した実験を引用している。

こうした感覚はある文化内では強くひとつの「感じ」をもたらすものの、文化間を比較してみると必ずしも有形的なものではないことが多い*3

しかし、日本語でもモシ語でも、ものを噛むときの表容語がmog mogである(p.36)など、身体感覚との関連で、ある程度普遍的な有契性もあるかもしれないこともまた示唆されている。

4 類音類義

ここでは、前章で示されたような普遍的な有契性について議論を深めている。つまり、ある言語の中で、また言語の違いを超えて、似た音は似た意味を持つのではないか、という意味のタイトルとなっているのである。

事例としては、日本語における「む」の籠もり感・鈍重感(むっちり、むしむし、むくれる、etc...)、古代ギリシアで「流音」とよばれた[n, m, l, r]が日本語の“「な」「め」「ら」かに「ぬ」「れ」た感じ”(p.45)と通じ合うことなどの例が示されている。なかでも[pi]の音が持つ鋭さ・刺激の感じは日・英・仏・独・モシ語に共通するなど、かなりの広がりがあることが指摘されている(p.48-50)。

音と身体性の関係が示唆された所で、続く二つの章での楽器と言語との関係へと考察は移っていく。

5 楽器音と言語音

本章では邦楽において著しい発展を遂げている「口唱歌」が取り上げられている。

「口唱歌」とは例えば三味線でいう「チントンシャン」などの言葉であるが、これはただ楽器音を模倣したものではなく、各語の音が楽器の奏法と対応している、いわば音の奏法譜のようなものである*4。こうした口唱歌の音素の特徴と楽器音の響きはかなりの程度対応しているものらしい。

興味深いのは胡弓や笙といったメロディック・ハーモニックな楽器には楽器音に対応・模倣した口唱歌は存在せず、無契的な楽器の音名(乙、乞、凡など)を唱えたりするということや(p.64-65)、笛であっても尺八の口唱歌はむしろ太鼓などの口唱歌との音韻的な類似がみられるということである(p.61)。あまり邦楽には詳しくないが、これらのことから西洋音楽と重なりつつもことなった楽器の役割分担が伺える。

6 声で奏することと楽器で語ること

この章では、アフリカにおける言語音と楽器音の関わりとして笛言葉と太鼓言葉があげられている。これらは西アフリカ諸語で意味の違いをつくる音調(音の高低)を楽器で奏でることによって、言語メッセージを伝達するものである。

その特徴として川田は(1)空間的・時間的な「遠隔伝達性」(楽器音は姿の見えない遠くまで響き、文化的に伝承されることで後世に伝わる)、(2)秘儀性あるいはメッセージ受信者の限定性*5、と(3)情動喚起性(楽器音の迫力は誰もが知るところだろう)があるという。

7 音の共感覚

ここでは、ある文化内でのさまざまな領域の音同士の、またその他の領域との関係において、言語や音を捉えていくための試論とでもいうべきものが行なわれている。

自然音と言語音の関係の例として、日本語やグリム童話における「聞き倣し」*6 があげられている。

そして日本とモシ文化における音のコミュニケーションの総体=音文化といえるものを八角形のダイアグラムに整理し、「意味作用」、「表用」と「表音」の表象作用、「感覚作用」、「人工音」、「身体の律動」、「感覚刺激」、「自然音」の8つの項同士が互いに関係するあり方を、各々の文化について分析し、比較している*7

つづいて(2)へ

*1:学者のマナーとしては当然だが

*2:およそ「擬音語」「擬態語」に相当するが、上位概念の必要やほかの領域との関係を表現する上でより適切な用語法となっている

*3:フランス語で大便小便とそれぞれ結びつく[i][a]の母音がモシ語では逆転している、など。日本語話者がラテンパーカッションの「コンガ」(大きい太鼓)と「ボンゴ」(小さい太鼓)の大小をかならず間違えて反対にイメージすることが筆者には思い出される。

*4:例えば「チン」は勘所を押さえる、「トン」は一の糸か二の糸の開放弦、「シャン」は三弦すべてをハラう、など

*5:部外者には音調だけではメッセージをデコードしきれない。ゆえにメッセージを解することが出来るかどうかによる権力的なヒエラルキーを生じうる。例えばお経や真言のような、わかりにくさがありがたみを生じるようなことが起こるのである。また言語を楽器に移し替えることによって特別な場・時間であるという「よそおい」を与える効果もあると川田はいう

*6:ホトトギスの鳴き声を「ホー・ホケキョ=法、法華経」と聞くなど、自然音を意味のある言葉として捉えること

*7:この論点については同著者の『口頭伝承論』上巻(平凡社ライブラリー、2001 [1992] 年)でさらに深く・広く議論されているのでそちらを参照したほうが良い