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Jablogy

Sound, Language, and Human

川田順造 1988 『聲』 筑摩書房 (2)

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Ⅱ 声によるコミュニケーション

第二部では他者に対し呼びかけることで社会的な関係への参入を引き起こさせるという名前のもつ働きに注目した議論がなされている。筆者としては、このあたりは声や歌の議論よりもむしろ、キャラクターと固有名などの議論に補助的な示唆を与えるのではないかという感じがしている。

8 名を呼ぶ

ここでは固有名詞の付けられ方やその働きが語られている。

そのひとつ、名前が持つ呪術性としては、多くの競争相手のうち本当の名を言い当てたものが娘を嫁に取れる「難題聟(なんだいむこ)」、本当の名を言い当てられた化物が退散するという説話などが挙げられている。

もう一つはアフリカ、モシ族の名前の文化が描かれる。なんとモシ族には固有名詞にあたる文法範疇がなく、すべての名前は普通名詞の組み合わせで出来ているという(p.104)。生まれた時の状況(「お祭り」「金曜日」妊娠中に野生動物の交尾を目撃したら「交尾」)や隣人・王など他者へのメッセージ(隣人とのいさかいを「神様がご存知」であるとか「王様は私達によくしてくださる」など)が名前になる。

成人するにあたっては警句の形を取った自己誇示するための詩のような名前を自らつけ、「争い名」「耕作名」などという。楽師が太鼓音楽をともなってその名を唱え賞賛すると、よばれたものは意気軒昂として耕作に励むという(p.108)。

9 うたう、あてこする

本章では他人への不満や愚痴を名前や歌の形で表出する文化が紹介されている。

前章で論じられたように、子供の名前に他者へのメッセージを含んだものをつけることがあるが、その一つとして「あてこすり名」がある。「ダヤブレ」(いい加減にしろ)、「ラナーバ」(余計なことをするな)などといった名前を子供につけ、日常的に子供を大声で呼ぶことで、その当事者へメッセージを聞かせるのである。

同様にそれとなく聴こえてしまうことを期待して発せられるものに「あてこすり歌」がある。臼を引く作業をしながら女性が歌うものであるが、そこで歌われる文句や愚痴に対して抗議したり、そのことで女性に不利益な扱いをしたりしてはならないとされている。このように言葉が歌として形式化され、ある種の聖性を帯びることを、川田は「声のアジール」と表現している。

「あてこすり名」「あてこすり歌」と似たものとして「女と女の名」がある。親しい友人関係にある女性たちが自分たちのグループ名として「耕作名」ににた詩のかたちをした名前をつける。その名にはグループの者と対抗関係にあるもの(一夫多妻における第一妻であるとか)へのあてこすりが含まれている。子供の「あてこすり名」と同様、それがよばれることで、間接的に当事者へメッセージが伝わるわけである。

10 死者の名を呼ぶ

この章では死者の名を、主に儀礼の場において、呼ぶことによって社会の中に位置づけていくあり方が描かれる。

生まれた子が生以前の場へもどらぬよう素早く仮の名をつけたり、精霊につれさられぬよう卑しめる名をつけたりするが、「死者の名を呼ぶことは、死の側に入ってしまった者を、新生児の場合とは逆に、はっきり死の側に位置づけながら、ことばによって生者とかかわらせる行為」である。(p.123)これには死者とその名と生者との関係においていくつかの相がある。

ひとつは死の直後に嘆きとともに呼びかけることである。中国・朝鮮では泣き女などの習俗が知られるし、モシ王国でも似たように悲しみを表す。

次には葬送儀礼を通して死者を祖先に位置づけるあり方。何代か経過し、死者を直接知るものがいなくなると、「死者はことばである名によってしか、もはや生者には知られない存在となる」(p.126)。特にモシ族は固有名詞がなく普通名詞の詩による名をつけるので呼ぶことによって固有性をもって存在することが顕著となっている。始祖の名が氏族の称賛名となっていて、その詩的な名がもつ警句的メッセージの性質を氏族が帯びることになっている。

三つ目が太鼓言葉による「王の祖先の系譜語り」である。仔細は省くが、形式化した太鼓による唱えによって、長々と・次々と王の祖先の名(これも詩のような形)を呼ぶことによって、ある意味で現王を「名づけ直し」、現政権を肯定し王の権力を寿ぐものである。

11 名をたたえる―声の芸人たち

本章は、ニジェール川大湾曲部、バンバラ王国地域の婚姻儀礼で、「ジェリ」とよばれる語り部・歌い手によって、儀礼参加者の名を呼び上げ賞賛する事例を取り上げるものとなっている。

儀礼は西アフリカによくみられるサークルになって集まり、ドラム(ジャンベだろうか)音楽に伴われて数人ずつダンスするというものであるようだ。その中で、参加者の一人がジェリに金銭や物品を渡すと、ジェリはそのもの(事例では女)の名を呼び賞賛する。そして、会衆はよばれた女の手を掴んであげたりし、続いて輪舞に移る。

報酬はジェリに、賞賛される栄誉は参加者のものになるわけだが、ジェリの言葉巧みに賞賛する技自体がこの会の楽しみでもある。この会の性質をまとめるならば、「共通の友である花嫁を慶賀するという共通の意図を持って座を共にしている人たちのあいだでの、一座の興を増す、共通の目的に向かってエスカレートしてゆくご祝儀合戦」なのである(p.146)。

こうした有形無形の贈与のあり方を川田は次のように表現している(12章、p.150)

ジェリの声が差し向けられる対象であり、ジェリに声の報酬を与えるのは花嫁の知友である参会者の女たちだが、そうした行為全体によって祝福され、またジェリにそれだけの収入の場を作ってくれる顧客は花嫁(ないしその後見者)た。そして、ジェリにかなりの金品を与えた参会者たちに、直接間接に債務を負うのも花嫁であろう。

こうした生業が成り立つのも、「声というものがその差し向けられる相手に対して持つ対象特定性と同時に、居合わせる他の人々も、その状況で巻きぞえにする、いわば非特定的な共犯関係設定機能をそなえているからだ」と川田は解釈している(12章冒頭、p.149)。

12 ほめる声、おびやかす声

前章でのジェリと似た名前を称賛したりする職能としてハウサ社会の「マロカ」*1が取り上げられる。

内婚制の埒外集団をつくっているマロカは、折々の儀礼において、王や地方首長などに対しその名を唱え賞賛し、対価の金品を受け取る。これはマロカがチームを作って集団で行なわれる。

単独で漂泊するマロキ(単数形)が、ふらりと村や町にやってきて、成金や脛に傷を持つ富裕な商人の称賛名を唱え出すことがある。それに対し唱えられたものは金品を返すが、もしその額にマロキが満足しない場合、称賛はあてこすり・非難へと一変する。弾劾されるものは耐え切れなくなり、つけとどけの追加を出すことになる。

こうした奔放性は彼らが埒外者であることに支えられている。構造主義記号学的な文化人類学でいう「トリックスター」や「リミナリティ」の議論を思い浮かべると理解しやすいだろう。

13 名とうたのあいだ

この章では、単に対象を指し示す記号としての名ではなく、呼ぶものと呼ばれるもの、そしてそれを聴くものとの間に強い感応をつくりだす、アフリカの名を呼ぶ文化のまとめとして、様々な称賛名が紹介されている。

マリのドゴン族では作物や野獣に対する賞賛名「ティゲ」があり、ビールをよく発酵させるのに、カモシカを聞き惚れさせて足をとめるために、それらの名を唱える。ニジェール川の漁撈民ボゾ族はカバの猟で、マリのバンバラ族はライオンと出くわしたときに称賛名を唱える。

またドゴン族はジャッカルのあしあとでする占いの際、ジャッカルが真実を告げるように、その称賛名を口にする。「ティゲ」を声で唱えることは呼ばれたものの「ニャマ(生気)」を増すと考えられていて、この意味で名を呼ぶことと呪すること(charmすること)は連続的であり境界を引くことはできない。

他にもウガンダのカラモジョン族、バントゥ諸族、南アフリカのズールー族などについても類似した例が挙げられている。

これらの称賛名はいずれも詩のような形をとっており、名を呼ぶ・唱えることに歌の原型があるかのようですらある。

(3)へつづく

*1:「ジェリ」とともに、西アフリカで広く通じる言葉としては「グリオ」に該当し、一般的にもこちらの呼び方のほうが知られているように思う