Jablogy

Sound, Language, and Human

斎藤環 2006 『生き延びるためのラカン』 バジリコ

斎藤先生ご専門のラカンを解説。「日本一わかりやすいラカン入門」を標榜しています。語りかけるような口調というか文体で、ざっくりとしたレクチャーを受けているような感覚になります。

細かい説明は大分はしょられているので、正確さ・厳密さには懸けるところもあるのかもしれませんが、ネットで調べてもまったくピンとこなかった術語のイメージ(象徴界想像界現実界の区分、対象a など)がわりとつかめたように思います。


精神分析の特徴として(といってもそれを使った評論とか入門しか知らないんですが……)いくつかのドグマティックな前提を受け入れないと理論が意味を持ってこない所があると思われますが、本書についても同様に感じました(これは斎藤の瑕疵ではないですが)。

特に、エディプス・コンプレックスを始めとした「幼児は〇〇を〜〜と受け取る」式の命題は、実証も反証もしようがないのでどうも受け入れがたいです*1


逆に認識論的な部分や文化人類学から輸入されたと思われるような部分については割りと納得が行く感じで。

たとえば「現実界」という考え方はメイエルソンやヘーゲルハイデガーから影響を受けているといわれるそうです。あるいはカントの「物自体」を連想するかもしれないと斎藤はいいます(p.180)。このあたりの「分節不能性」については文化人類学でも境界理論などでよく知られるところです*2

小田亮の『レヴィ=ストロース入門』(ちくま新書、2000年)でもレヴィ=ストロースからラカンへの影響があったことが指摘されていましたが*3、「無意識は言語のように構造化されている」なんてまんまですよね。言語や記号の体系としての象徴界・それをとらえる想像界・それらの影・地としてある現実界、これらはおよそ構造主義人類学における記号・象徴やそこに潜在する「構造」と近いのかもしれません。

それから「転移」については、宮台真司がいう「感染的模倣」論*4内田樹の師弟論と近いものがありそうな感じがします。

生き延びるためのラカン (木星叢書)

生き延びるためのラカン (木星叢書)

*1:なんで幼児が考えてることがわかるんだろう

*2:たとえば四季の境目はどこにあるのか、昼と夜の境目はどこかは決定できず、その「どっちつかずさ」が危険や不吉と結びつく。逢魔が時、季節の境目は風を引きやすい、etc.

*3:http://d.hatena.ne.jp/ja_bra_af_cu/20110913/1315914397

*4:宮台真司 2009 『日本の難点』 幻冬舎新書