Jablogy

Sound, Language, and Human

チーム☆独身者編 『らすてぃら』

Vocalo Critique Pilot 寄稿者のまつともさん(@)が参加しているサークルが2011年6月の文学フリマで頒布した同人誌。

サークル名の「独身者」とはミシェル・カルージュが『独身者の機械』*1において提唱した概念によるようです。近代社会における家父長制・ロマンティック・ラブ・イデオロギーに不適応である、あるいは反感をもちドロップアウトするものの比喩、というところでしょうか。

簡潔にして要を得たブックガイドが充実していて、文献リストに加えなければならない本がふえてしまいました。紹介されている本をあげておきましょう。

ミシェル・カルージュによって近代社会における神話の一原型として「独身者機械の神話」という捉え方が提唱され、上のリストにもあるカフカリラダン、ヴェルヌらの小説において描かれる「独身者」と人造美女との性愛が論じられているそうです*2。そうした神話では「機械文明、恐怖、エロティシズム、宗教あるいは反宗教」といったモチーフが現れるとのこと。

日本のマンガ・アニメとの接続も伺えます。押井守の監督による攻殻機動隊イノセンス』は「『独身者の機械』邦訳版から多くをカットアップしている」(本誌所収、新島進「独身者機械と/の私」p.31)そうです。冒頭の台詞は『未来のイヴ』におけるエディソンの言葉の引用であるといいます*3

そもそも、日本のマンガ・アニメに絶大な影響を及ぼした手塚治虫からして、人造生命やそれらとの性愛を描く第一人者だったといえるでしょう。

鉄腕アトム』は天馬博士が息子に似せて作ったけれどそういえば奥さんの話はきいたことなかったり、ブラック・ジャックは自身も事故でバラバラになった体を手術で再生したものであるのにくわえ、奇形嚢腫からピノコをつくり、ピノコはBJの「妻」であると主張しています。それから『メトロポリス』もロボットとの性愛の話でしたっけ。

火の鳥』においてもロボットや非人間と独身者的な男との性愛がたくさん描かれていますよね。ロボットのチヒロ、ムーピーのタマミ、てんとうむしが人に化生し、我王を慕うも殺された速魚、宇宙編における鳥人間、狼の精霊マリモ……ヒロインの多くが非人間であることに改めて驚きます。

男の側も普通の性愛からはドロップアウトしたものが多いでしょうか。チヒロを愛したレオナは人間が岩石のように見える視覚障害でした。ムーピーを愛したマサトは何億年もの孤独を味わうことになったし、宇宙編で鳥人間を虐殺することになった牧村は初恋の女性に裏切られたトラウマを抱えています。太陽編の犬上宿禰は人の顔を失ってマリモと出会い恋に落ちるも、ついに人に戻ることができると今度はマリモとのつながりを失ってしまう。そして全編を通して、猿田ほど女性の愛を渇望しそれに苦悩したものもいないでしょう。彼らはまさしく「独身者」的であるといえそうな感じがします。

ユリイカ』のミク特集で散見されながら議論としては見通しの立っていなかった「SF的悲恋」の問題に、こうした角度から光をあてられそうな手応えを感じて、なかなかエキサイトさせられました。

 * * *

その他の論点としては、独身者や性愛からのドロップアウトというトピックをかたるならいわゆる「非モテ」の問題、特に本田透の『電波男』を取り上げて欲しかったかなと思います*4。バトーさんの独身者性と人形愛についての言及もありますしね。なにより私見では、現代における性愛からのドロップアウト/stay away は、おそらく学校文化におけるDQN/オタク=ジョックス/ナード=コミュニカティブ層/非コミュ層といった対立と大きな関係があると考えられますので。

*1:Carrouge, Michel. 1976 Les Machines Célibataires. Paris : Chêne. (『独身者の機械 ―― 未来のイヴ、さえも……』 高山宏・森永徹訳、ありな書房、1991年)

*2:F・M・フランクのものはそれら「非人間の声」が聖性と結び付けられたことに着目しています

*3:http://oshii.seesaa.net/article/12868428.html

*4:座談会で『モテキ』があげられていましたが