Jablogy

Sound, Language, and Human

小田部胤久『西洋美学史』読書会の補足と余談

@氏、@氏 、@、他twitter上で関心を持って下さった皆さんと読書会をしました。

西洋美学史

西洋美学史

メンバー達のまとめ記事

togetterまとめ

著者は本書の著述スタイルを織物に例えています。著名な哲学者を「横糸」に〈知識と芸術の関係〉とか〈芸術における自然と技術の関係〉といったテーマを「縦糸」にもつというわけです。

とはいえ、一応年代順に著名な哲学者を並べて章が区切られているので、章ごとに読んでいると、全体を通じての「縦糸」がどのように通っているか把握しきれないところがありましたので、ここでざっとした整理を試みようかと思います。微妙に異なる問題を私が混同していて、必ずしも著者の意図した通りのテーマ区分にならないかも知れませんが……

箇条書きの最初の階層でトピックを、次の階層で主な論者を示し、どの章で出てくるかを()内の数字で表すことにします。同じ章で出てくる場合、時系列は無視して横に併記します。各論者がどのような議論をしたかについては togetter のまとめを参照ください。

「縦糸」を軸にしたまとめ

  • 批評の概念
    • ヴィーコ(7)
    • ヒューム(9)
    • カント(11)
    • シュレーゲル(13)
  • 新しい作品において遡及的にその作品に至る過去の「可能性」が生じること(「予見不可能な新しさ)

章の中だけのつながりはここでは取り上げていませんし、他にも私が見落としたつながりもあるかも知れませんが、およそこういったところでしょう。

こうして見るとカントの問題の幅広さというか、伝統的な問題が全部入ってるのがよくわかります。そしてガーダマーも相当あちこちで言及されてる印象でしたが、シェリングやシュレーゲルもなかなかのものです。

全体への所感というか余談

togetterまとめの最後に人文学の伝統ということについて述べましたが*1、芸術の価値を常に真理をどれだけ現しているか、真理と対応しているか、といった関係において正当化しようとするのが西欧の美学の伝統なのだろうなと、全体を通して感じました。それが芸術を非難した「プラトンへの一連の注釈」の一つということなのかもしれません。

また他の人文学へも引き継がれている伝統もいくつか見受けられるように思います。記号論はまさしく修辞学の子孫でしょうし、象徴人類学でいうリミナリティの分節不能性(あるいはフロイトの無意識、ラカンの現実界)はライプニッツまで遡ることができる。

また「社会劇」の概念を提唱し、民族誌を実際にロールプレイすることを始め、民族誌の理解を演じることによる不断の再帰的実践による認識と捉えたヴィクター・ターナーに、シラーのSpiel概念やシュレーゲルのロマン主義的イロニーの反響を聞き取る*2も不可能ではないように思えました。

*1:[http://twitter.com/ja_bra_af_cu/status/241965431592718336:twitter:detail]

*2:小田部先生の表現のパクリ