小林秀雄 『モオツァルト』
【書誌情報】
- 小林秀雄 1949 『モオツァルト』 日産書房
近代的な批評の原点として批評を論じた文章ではかならず参照される一冊。フミカレコーズのメンバーとしては必読、というわけで読んでみました。私が読んだのは初版の古いものですが、新潮社の全集などあちこちに収録されているようなので入手は容易かと。
本書は、モーツァルトの作風や作品を批評するものと言うよりは、モーツァルトという天才について作品などもだしにしつついろいろ空想的な言葉の戯れを繰り広げた随筆というべき本でしょう。
「音楽家の正体を掴む為には、何を置いても先づ耳を信ずる事であって、伝記的事実のごときは、邪魔にこそなれ、助けにはならぬ」(p. 39) といっている割には、言及しているのは音楽外のコンテクスト情報が大半ですしね。音楽の内容に触れてるのは第10節くらい。
方法的には印象批評といっていいのかな。主張・仮説に対し論拠を提示して論証するという形は取らず、断定的な主張からあれこれ想像したり論理の飛躍を楽しんだりする形式。他者(つまりモーツァルト)の内面についても、なぜここまでというくらいに断定的に書いてたりします。
小林の背景となっているディスクールはおそらく(批判的に言及している箇所がある割にはベタに)ロマン主義で、天才礼賛したり作品のかなたにイデア的なものを見て取ろうとしたりしています。
たとえばヨセフ・ランゲが描いたモーツァルトの肖像画について「写真版からこちらの勝手で適当な色彩を想像しているのに、向こうの勝手で色など塗られてはかなわぬという気さえもして来る」(p. 63)とさえいい、ロダンのモーツァルト頭像=「あるべきモオツァルトが石の中から生まれ来る」(p. 66)などといったりしています。
20世紀も半ばになった1949年にもロマン主義は現役だったということなのかな。歴史学的な実証主義やリアリズムでは芸術の本当の美を捉えられないとは考えているようですが(p. 60でのテーヌへの批判など)。
時代といえば、大谷能生のいうように*1、敗戦経験などはどこへいってしまったのか、一体どんな読者層に向けて書かれたものなのか、などコンテキストが気になるところです。参考文献としては、
- 新保祐司 (2012). 「小林秀雄と吉田秀和 : その相似と相違 : 小林秀雄の『モオツァルト』は音楽評論だという誤解 (特集 今、音楽批評(評論)を問う)」 『音楽現代』 vol. 42(12), pp. 52-56. 芸術現代社
というのがあるみたいなので、また取り上げる機会があれば参照してみたいですね。あとは小林批判で有名な次の高橋悠治のテキストが収録された号のユリイカが小林秀雄特集なのでそれも参考になるかな。
以下、読書ノート的な情報を掲載しておきます。読んで面白いものでもないですが、一応参考までに。
レトリックの特徴
- 隠喩、直喩はもちろん使う。譬えの突飛さ具合はとてもうまい(「彼は切れ味のいい鋼鐵のように撓やかだ」(p. 20) 「モオツァルトのポリフォニイが威嚇するように鳴る」(p. 21) )
- それまでの文脈から自然に導かれるのではない単語、固有名詞、言い換えをポンともちだす(ので意味がわかりにくい)
- 指示代名詞や接続詞を使わない(ので文同士の関係がわかりにくい)
- 指示詞があってもなにをさしているか判然とさせない
- 意味ありげな主張を述べておきながら文末でそんなものは意味は無いと否定する
- 抽象的な物主構文
- 異常に長い連体修飾語(+それを並列した等位接続詞)
要旨というかトピックス
1
- ゲーテがモーツァルトをどう評したか
- ゲーテがベートーヴェンを実は理解し(「聞いてはいけないものまで」p.8)聴きとったこと、ニーチェがワーグナーの無限旋律に慄然としたことついて → 音楽の向こうにあるイデアの感得
2
3
- モーツァルトが自身の作曲方法に関して書いた手紙の引用(一度にイメージがわき、あとからそれを取り出すように書くという天才性の逸話)
- それを語るモーツァルトの「子供らしさ」(p. 26)……がどうなのかは一言もいっていないw
4
- ロマン主義音楽が作品とその語りとともに難解になった果てにモーツァルトのシンプルさを称揚するに至ったことについて。(それは不自然なことだといっている=「雄弁術を覚え込んでしまった音楽家達の失語症たらんとする試み」(p. 33))
5
- 芸術や美の言語化不能性
- 言語化不能であることが軽んじられていること
6
- モーツァルトが18歳にして作曲に行き詰まったこと
- 制約や障害がない所では精神は十分に働かない。天才が天才に甘んじることはイージーなので「天才は寧ろ努力を発明する」(p. 43)。モーツァルトの行き詰まりもそういうものだったのではないかという
7
- モーツァルトの癖(考え事、悪口などの無作法)、「ラプトゥス」
- モーツァルトの私生活と作品の不釣合いさ
- 創作に必らずに侵入する偶然性と実証の無力
- ヨセフ・ランゲが描いたモーツァルトの肖像画、ロダンによるモーツァルト像がイデアルなモーツァルトを表現していること
8
- スタンダールの書いたモーツァルト評の一片からスタンダール本人の天才性を空想的に論じる
- 「裸形になった天才」というスタンダールのモーツァルト評とスタンダールの本質が似ている「モオツァルトとスタンダアルとの不思議な和音」(p. 69)
- 「エゴティズム」は後世の評価であり彼が演じたもので真実ではない
- スタンダールは無償・無用なものほど真実であるという原理から、多くの偽名を使い、それを演じ生きることになった
- もしその生涯にわたる演技をつぶさに観察したならその純粋さから「裸形になった天才」をそこに見出すだろう
- 「『パルムの僧院』のファブリスの様な、凡そモデルというのを超脱した人間典型を、発明しなければならぬという予覚は、既に、モオツァルトに関する短文のうちにありはしないか」(p. 79)
- 「音楽の霊は、己れ以外のものは、何物も表現しないというその本来の性質から、この徹底したエゴティストの奥深い処に食い入っていたと思えてならないのである」(p. 78)
- 「こういう大胆で従順で、優しく又孤独な、凡そ他人の意見にも自分自身の意見にも躓かず、自分の魂の感ずるままに自由に行動して誤たぬ人間、無思想無性格と見えるほど透明な人間の作者に、音楽の実際の素材と技術とを欠いた音楽家スタンダアルの名を空想してみる事は、差支えあるまい」(p. 79)
9
- モーツァルトの残した書簡と彼の音楽の共通点 → 「唐突に見えていかにも自然な転調」(p. 86)
- アンリ・ゲオン(Henri Ghéon Promenades avee Mozart)を引用して「tristesse allante(流れゆく・疾走する悲しさ)」「モオツァルトのかなしさは疾走する」
- モーツァルトのパーソナリティについて妄想
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