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Jablogy

Sound, Language, and Human

『パンクなパンダのパンクチュエーション』 『ジャズで学ぶ英語の発音』 『英和翻訳表現辞典』 『職業としての学問』 『科学を語るとはどういうことか』

Book English

最近読んだ本のメモ。英語本が3冊、メタ学問本が2冊。

リン・トラス『パンクなパンダのパンクチュエーション』

パンクなパンダのパンクチュエーション―無敵の英語句読法ガイド―

パンクなパンダのパンクチュエーション―無敵の英語句読法ガイド―

英語の句読法にあるよくある間違いや過剰なこだわりについて(ブラック)ユーモアたっぷりに綴ったエッセイ。

「正しい日本語」をめぐってよく人々のあいだで議論がかわされるように、英語のネイティブたちも記号を使い間違えたり、使わないことにこだわったり、逆に気軽に使いすぎてしまったりといった問題があるのだ、ということがわかって親近感がわいた。

アポストロフィ、カンマ、(セミ)コロンについてもネイティブたちの捉え方、コンセプトがよく見えてきた。

全体的に面白く読めたが、翻訳の文体が生硬な「である・だ」体と“女性らしさ”を強調した「役割語」の口語的口調のあいだを唐突に行ったり来たりするのは不自然に感じた。

中西のりこ・中川右也 『ジャズで学ぶ英語の発音』

ジャズで学ぶ英語の発音(CD-ROM付)

ジャズで学ぶ英語の発音(CD-ROM付)

英語がもつ特定の音素が特徴的に使われている曲を覚え歌うことでその音素の発音をマスターしようという本。

ジャズ曲を英語学習に用いる際の利点について著者の一人、中川右也はこういっている:

 ジャズの歌詞は、1曲がひとつの物語となっています。英文法の参考書にあるように、英文がひとつひとつ独立しているのではなく、適度な文の長さで、意味が繋がっているため、記憶にも残りやすく、英語学習にはとっても効果的なのです。川のように前後の英文が自然と流れて、ひとつの物語を作り上げているのです。また・メッセージ性が高く、感情豊かなジャズだからこそ、歌い手の気持ちを音としても表現でき、感じられるよう、歌詞にあるひとつひとつの言葉の選択には配慮がなされています。(p. 69)

この点はまったく同意。30年代~50年代のジャズ・ソングはロマンチックかつドラマチックなので気持ちを込めて言葉を覚え発生するにはほんとうに良いし、歌詞であれば3~4行に渡る長い文も楽に暗記できてしまう(私でも30曲くらい覚られている)。

対して、あくまで詩であるために文法的な破格が多く、解釈がむずかしい場合が少なくないことは欠点といえるだろう。本書での文法的な解説もあまり細かいところまでは踏み込んでいないので、かなり上級者でないと不明な点が残ると思われる。「Route 66」の解説は誤りやすい多義語の説明が秀逸で蒙を啓かれた。

また歌である以上、発声(wpm)はまったく速くないので、リスニングやスピーキングの訓練にはあまりならないかもしれない。文中でアクセントが置かれる場所をつかむのにも良いのだが、場合によっては普通アクセントが置かれない機能語も長く伸ばされたりするので、初心者は戸惑う可能性がある。

なんにせよ、繰り返し聴いて、自分の口で声に出すのは大変よいことではあろう。

中村保男編 『英和翻訳表現辞典 ―― 基本表現・文法編』

英和翻訳表現辞典 基本表現・文法編

英和翻訳表現辞典 基本表現・文法編

わりと一般的な英単語がもっている意味・論理のはばをしっかりとらえ、こなれた和訳をあたえている辞書。

とはいえ、著者が訳している時に突き当たった文脈においてあてはまる訳なわけで、実際に翻訳作業しているときに参考にできるかは疑問が残る。著者と同じ文芸翻訳でなら応用できる場面も多いかもしれないが、それ以外だとどうだろうか。

ともあれ、訳した和文がどれくらいまで英語の字面と離れたものになるか、という点では大変参考になった。

マックス・ヴェーバー 『職業としての学問』(1980 [1919])

職業としての学問 (岩波文庫)

職業としての学問 (岩波文庫)

知識人論というよりは、学問と言うもの全体をメタからみて社会全体に位置づける話だった。

「呪術からの解放」以後の世では、究極の真理・世界の意味を決定づけるような価値を学問の中の方法・理論から証明することはできないので、そうしたものにコミットすべきじゃないというのが骨子のようだ。(もちろん「価値自由」の話とも関わる。)

よって(大学)教師も宗教化・預言者や政治家のような「指導者」であるべきではないという。同じ社会学でも先生のカリスマ的な影響力=感染を重視する宮台真司とは正反対に見える。「指導者」でないこととカリスマ性のある教師であることは両立するのかもしれないが。

あと、寝食を忘れて研究に打ち込んでしまうような「情熱」をもって「職業(ザッヘ)」に邁進すべしということもいっているけれど、それを可能にする「情熱」については生得的あるいは職業につくまえに身につけているべきと前提してるようだ。ほっといてもつい勉強しちゃう、研究しちゃうみたいな人はいるよね的な。

なんらかの外的な条件で成立するモチベーションについて言ってないかなと思ったけどそれは虫のいい期待というものか。

須藤靖・伊勢田哲治 『科学を語るとはどういうことか』

科学哲学に懐疑的な科学者がひたすら科学哲学者を批判しまくるという強烈な対談。するどい攻撃の連続にもひるまずしっかりとしたガードを続ける様子はさながら言論のカラテであり、二人は知性ニンジャであることが強く疑われる。

科学哲学の内容そのものよりも、伊勢田先生が哲学ってこういうスタイルですよ、と解説しているところが興味を引いた。以下その抜き書き。引用はすべて伊勢田発言。

 科学哲学の業界では、クリシン型でお互いを評価します。私が相対性理論についての無理解をさらした諭文を欝いたら、他の論文も真面目に読んでもらえなくなるでしょう。しかし、そういう科学哲学業界に住む我々でも、それと違う基準で書かれたものが哲学業界全体を見れば存在し、違う基準で評価する人が存在するということは理解しているし、しかもそういうものを読んで思考を触発されることもあればうがった見方に感心することもあるわけです。  こういう考え方が哲学者の身に染みついているひとつの理由として、哲学では古典を読む訓練があるというのが大きいと思います。昔の哲学者は時代的な制約もあり、今から見れば変なことも言っています。しかし、今に生きるような議論もしているからこそ現在でも読まれ、研究されているわけです。その意味で、哲学は「良いところをすくい上げて読む」という読み方が自然に身につく業界だと言っていいかもしれません。(pp. 31-2)

哲学の流儀・スタイルの4類型

  1. クリシン型
    • 「筋道を立て、隠れた前提を明らかにしながら、できる限り明晰に考えること」(p. 28)
  2. 思考触発型
    • 「読者を考えさせるのがよい哲学的文章だ」(p. 42)
  3. うがったもの勝ち型
    • 根拠などより見方の面白さ。"誰も思いつかないような「へー」と感心するようなことをいったらいい" (p. 42)
  4. 文献読解型
    • 解釈の面白さ、あたらしさ、もっともらしさ。普通の哲学研究者

 そのとき〔伝統的な哲学の問題を論じるとき〕に、前提の善し悪しまで議論するんですよ。つまり、ある前提を立てたらこの証明ができた、というとき、その前提を我々は受け入れるべきなのか、というところまでさかのぼる。哲学があまり蓄積的じゃない理由のひとつでもあるのですが、このとき、みんな自分で前提から組み立てるんですよ。みんなそれぞれ違うものを組み立てるんですね。他の人から見ると、「なんでそれを前提に入れているのかわからない」というようなことも当然起きている。それをお互いに壊し合って、また個々に新しいものを作る。(p. 249、亀甲カッコ内は引用者)

 強いて言うなら、「科学者たるもの根拠の無い主張を受け入れてはならない」というのは、科学のエートスとして割と共有されている前提ではないかと思います。それを科学者自身よりも徹底して推し進めるのがヒュームだったり反実在論だったりするわけです。だから、共有できる前提は無くはないんですよ。でも、そうは言っても帰納は必要だし、電子の存在を受け入れるなと言われても困ってしまう。だから、すでにひとつ共有される前提とそこから導かれる結論はあるのだけれど、その結論では困ると思う人が、それに対抗できるような共有される前提を探している、と言う方が正確かもしれません。  もちろん、そんな都合のいいものがあるかどうかはわからないし、発見できたらすごいでしょう。でもそういう共有できる前提が見つかるかどうかにかかわらず、そこには問題はあるわけです。問題があるからには考えようじゃないか、というのが哲学のスタンスということになると思います。(p. 251)

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私もどちらかと言えば社会科学よりの教育・トレーニングを受けてきたので、哲学・人文科学のマナー・ディシプリン(規律=訓練)とそれに対する説明には関心がある。そういう「人文科学哲学」のようなものがあれば読んでみたい。