感じることなき「わざ」
Twitterを見ていたら美学的な興味深い話題が流れてきたのでつられてつぶやいたのをまとめてみる。
感覚できない芸術家/職人
後輩が「耳の聞こえない作曲家や目の見えない画家は有難がられるのに、匂いの分からない調香師や味の分からないラーメン屋って言われると途端に有り難みがなくなって食いたくなくなるの何なんすかね?」と言ったのである。何気ない発言だが、ここに美談や詐欺の生まれる貴重な基準があるのやも知れぬ
2014-02-13 19:47:10 via web
これは簡単で、結局のところ作品の良し悪しを、受けてが決めるのではなく、発信者側が決める仕組みになっているからだ。受けてが自信を持って良し悪しを判断できる、例えば料理のような場合、受けては作りてを尊重しないし、作りても自分自身を神格化できない。
>RTs 前二者は文脈や形式なんかの理性的な判断・反省がいるけど、後二者はいらないというカント的な話かな
演奏者の聴いているもの
演奏者って演奏中に自分の音を客が聴くのと全く同じ状態で聴くことは決してできないから、原理的に「匂いの嗅げない調香師」みたいなとこある
@ja_bra_af_cu というようなことをずっと疑問に思っているのだけど問題にされているのをほとんど見たことがない
@ja_bra_af_cu これもステージ上で自分の音をどう聴くかの話だった:【インタビュー】ラウドネス二井原実が語る、イヤモニ(カスタムIEM)の真実 | LOUDNESS | BARKS音楽ニュース URL
@ja_bra_af_cu 途中に出てくる稲葉氏との対談: URL
@ja_bra_af_cu 本屋で大友良英の『MUSICS』(岩波書店、2008年)を手にとってみたら「ミュージシャンはステージ上で何を聴いているか」という章があったのでいつかしっかり読みたい
こういうトピックを「ほとんど見たことがない」といっても、私が知らないだけで美学なんかの領域ではガンガン論じられていたりするのかもしれない。大友のほかにもD・サドナウ『鍵盤を駆ける手』(新曜社、1993)とかにはなんか書いてありそうな気もする。