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Jablogy

Sound, Language, and Human

All the same, all men are created equal.

学問のすゝめ (講談社文庫)

学問のすゝめ (講談社文庫)

学問のすすめの冒頭、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」には続きがあって、実際には格差はあり、勉強すれば上昇できるから勉強せよというのが「学問のすすめ」だ、というような解釈がバズっていたので、実際どうなのかと原典を読んでみた*1

結論としてはその手の解釈は半分正しいが半分は間違っているようだ(近代日本思想史にそこまで詳しいわけではないので自分の解釈にそこまで確たる自信はないけれども)。

慶應義塾のHPでもいっているように、「天は人の上に人を造らず~」はおそらく独立宣言の "all men are created equal" に由来するものであるらしい。

すなわち、この部分は基本的人権を誰もが持っているということを言っているのであって、「天は~」を引用する従来の解釈も、基本的人権の普遍性を表した格言として引いているのであれば間違いではないのだ。(この点は「二編」を読むとよく分かる。)

では問題の「されども~」以下の部分は何を意味するか。

されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

ここで言っているのは、実際の世の中に「かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もあ」るのはなぜかというと、それは(明治以前の世でそう思われていたように)生まれながらそういう違いがあるのではなく、後天的な「学問」の差によるのだ、ということだろう。百姓は百姓、武士は武士、商人は商人で生れつき違っているものだというのが常識だったであろう世界において、福沢のこの言葉は鮮烈に響いたに違いない。

一方、現在の感覚に引きつけていえば、これは中卒・高卒・大卒など学歴によって収入が異なってくることの説明だといえるだろう。つまり、なんらかの知識を身につけ複雑な・難しい仕事をする人の方が高い報酬を得るということである:

また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役りきえきはやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。

諺にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。

学べば金持ちになれる=階層の上昇とか、生まれついた階層の差・社会資本の差によって学問できるかどうかに差が出てくるとかいう点については特に言及されていないようだ。

そして福沢は誰もが学問すべしということで次のように言っている。

〔……〕このごろは四民同等の基本も立ちしことなれば、いずれも安心いたし、ただ天理に従いて存分に事をなすべしとは申しながら、 およそ人たる者はそれぞれの身分あれば、またその身分に従い相応の才徳なかるべからず。身に才徳を備えんとするには物事の理を知らざるべからず。物事の理を知らんとするには字を学ばざるべからず。これすなわち学問の急務なるわけなり。

「身分」の語の意味を確定しかねるが、四民平等にはなったけれど江戸時代からの差はそのままになっているので、それぞれの境遇に応じた「才徳」が必要であり、それを身につけるための「物事の理」を知るためには学問が要るということだろうか。

ともあれそのようにして、皆が学問を修めて、政府との距離をとって自立し(四編・七編)、学問をパブリックなものにし(十二編)、批判的思考を身につけ(十五編)、立派な国を作っていこう、というような(啓蒙思想的といっていいだろうか)ところがこの一連の著作の趣旨であるようだ。

/* 余談:学問といいつつ「役に立つ」学を志向していること、反エリート主義的なところ、自己責任論的な見方ともとれる箇所があること、他者の権利を侵害することと他人に迷惑をかけることの区別が明瞭でないことなどについては、今日の問題の淵源は近代化の最初からあり続けてるのだろうかな、という印象をもった。あと道徳的に身を律しつつ世俗の活動に精を出すのを推奨する意識の高い雰囲気はベンジャミン・フランクリン的/ピューリタン的なものの影響が伺える、のかも */

2015-08-30追記
理解の助けになりそうな論文を見つけたので紹介したい:

*1:読んだのは上の講談社文庫版。引用は青空文庫のものからコピペさせていただいた