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Jablogy

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佐々木健一『論文ゼミナール』

Book study critique

論文ゼミナール

論文ゼミナール

 『美学辞典』『美学への招待』などで広く知られる美学者、佐々木健一による、〔古典的〕テクストを読み込んで書く人文系の論文を念頭に置いた指導書。
 
 本書で佐々木は、美学の一テーマである創作論のひとつとして論文の制作を位置づけ、自分で実際に作ってみることによる理解の大切さを説く。論文とは、テーマとはなにか、などメタな問いへも実践的でクリアな捉え方が提示されている。

 論文を書くことによる学び・喜びにくわえ、それにともなう苦しみ・挫折にも言及し、その上で課題をクリアし切り抜ける方向を示している。着手することの苦しみ(pp. 89-91)、自分の未熟さや期限との戦い(pp. 204-6)、文章の文量を確保する/あるいは短くまとめることの大変さ(pp. 229-31)、などの点は身につまされる*1

 以下、興味深かったポイントのノートを。全章の要約ではないので、全体を知りたい方は出版社サイトの目次などを参考にして欲しい。

論文の特質

音読による能動的な理解

あなたはいま、この本を開き、このページのこの箇所を黙読しています。声は発していません。しかし、振り返って観察してごらんになれば、心のなかの声が発音している、という事実に気付くはずです。難解な箇所になったとき、その箇所を繰り返して読み、さらにつぶやいてみる、という事実が、理解するうえでの発音の重要性を物語っています。(p. 6)

発音するとは、そこにつづられている思考を、自分で作り出すことにほかなりません。このことに関連して、外国語の学習における発音の重要性を、考えあわせることが出来ます。発音の重要性というのは、ネイティブスピーカーをうならせるようなきれいな発音、ということではありません。どれほどなまっていても構いません。ただ一定の規則性を以て文に対応するように発音することができる、ということが重要です。これができなければ、黙読することも困難ですから、その外国語を習得することは、ほとんど不可能ではないかと思います。(id.)

くくり上げ

 ものの理解というのは基本的に、単純化・抽象化である(pp. 7-10)。

 本・論文などの思想をわかっているといえるのは、能動的に自分の言葉で要約・ダウンサイジング・再話することがことができる、ということである(pp. 48-50)

くくり上げられて出来たことばは、栢互に結びつき、それらの間でより高次のくくり上げを.可能にします。論文は知的な制作物です。論文だけではありません。発明や発見、考案、さらには生活のなかでのさまざまな工夫や思いつきにいたるまで、どれもが、経験をくくり上げ、それを相互に結び付けて生まれた知的制作物です。論文にはその性格が最も明らかに見られます。ですから、その基礎となるくくり上げのできていないひと、つまり、それぞれの学問領域の基礎知識を学んでいないひとに、読み手を感心させるような論文を書くことは不可能です。自分の思いを吐露するなら、それこそが立派な論文になる、と考えていませんか。それこそがわたしの個性だ、と思っていませんか。個性と言うならば、たしかに、不思議な考え方や感じ方をするひとがいます。しかし、その感じ方考え方が・そのまま論文になるわけではありません。制作されていないからです。制作するということは、論文の対象となっているテクストや問題に触発されて、新しいくくり上げをすることです。書き手自身がなにかを発見することです。書き手であるあなたが、自分で驚くようなものになれば、最高です。(p. 9)

 このように論文の制作においてくくり上げは重要な基底をなすため、本書では随所で言及される。本エントリでは「対象・主題・テーマ」「レミニッセンス」「ダブルノート法」「ディドロの執筆法」の節が関係する。

批評文の特徴、論文との違い

①一人称的な文章であること
②価値評価を下そうとしていること (p. 32)

 文章自体は三人称で書かれるが、「『わたしは~と思う』と言わずに、その思いや評価を対象の性質として語るのが批評文」である。「『わたし』はその文章の柱であるにも拘らず、隠されています。批評の一人称性は、屈折しています」(p. 32)。(一人称で書けばエッセイとなる。)

 価値評価は単なるよし悪しの問題ではなく、その作品・作家を当のものたらしめている特質のひとつという意味での価値である(p. 33)。それゆえ「正確さ」が読者を納得させる上で重要。

 論文はこれとは逆に、

(1) 一人称的な要素を排除する
(2) 価値評価を差し控える
(3) 情感的な発言をしない(p. 34)

/* 確かにここでいうような特徴を持ったものが批評文、論文の典型であろうと思われるが、境界はそれほどはっきり区切れるものでもないだろう。対象の特質を正確に捉えようとするのはどちらも同じだし、「解釈」が重要な理解のあり方として浮上しているし。佐々木自身、『美学辞典』(1995年、p. 223)では、美学と批評に実質的な違いがない場合も多いとしている。(20年の間に考えが変わられたのかもしれないけれど) */

である/ですます

 ですます体は「一人称的であると同時に二人称的」であり、読者に話しかける体勢をとっている。

 一方、である体は「読者の意識をも」たない。「二人称的な性格をもたないため、語るという行為の一人称的な性格は後退し、断定内容の三人称的、言い換えれば客観的な性格が表に出てくるわけです」(p 158.)。

 したがって論文はである体で書かれる(べき)。

対象・主題・テーマ

 「論文の骨格は《○○において、AはBである》という形に集約されます。○○が対象、Aは主題、Bがテーマです」(p. 71)

 カントをやりたい、シェイクスピアをやります、は対象を選んでいるだけ。
 カントにおける美と善の関係は~、シェイクスピアの宇宙観は~までいくと主題。

「この主題に対して何を問題(疑問)として、それに対してどのような解答を与えるか、という論文の核心部分」がテーマである。(p. 73)

 主題に対する論点や自分の疑問をみつけふくらませるには、その「主題について書かれた論文を、数点読むほかは」ない。(id.)

間違えても、先行論文の解釈についてのあなたの感想のようなものを書いて、それを「自分の考え」だなどと思わないことです。あなた自身の感じた疑問だけが、あなたの問題意識になります。それを自分で解明したとき、はじめて「自分の考え」と言えるものが生まれます。しかし、考えてみてください。疑問をまったく覚えないひともいます。疑問を覚えたとしても、その疑問はすぐに解決してしまうようなものであることが多いでしょう。簡単に答えの見つからないようなものこそが、真の疑問です。答えを見つけても、完全に満足することができず、心に残って、そのあと問い続けるような問題です。「自分の考え」をもつのは容易なことではありません。(p. 73)

/* よくテーマのしぼりこみが大事だとは言われるが、ここまで明快に定義を与えてくれているのは初めて読んだように思う */

レミニッセンス

文章をそっくり借用しながら引用の手続きを取らなかった、という場合には、剰窃と見なされます。しかし、どこかの本のなかで読んだような気もするが、自分が考えたことのようにも思える、というケースがたしかにあります。「レミニッセンス」(もとはフランス語 reminiscence)と呼ばれる現象で、これは避けられません。わたしたちの精神は、個別の経験の個別性を忘れて一般的な知識に組み入れていきます。基礎的なくくり上げです。特別な経験だけが、その特殊性のまま記憶に残されています。誰もがりんごの形も香りも味も知っていますが、いつどこで最初にりんごを食べたか覚えているひとはまれでしょう。ところが、初めてフランスに行って、コンビニの店頭にあった萎びて小さなりんごのことは忘れない、という具合です。思想の場合、経験をよく説明してくれるものとして共感した思想は、経験に溶け込んでしまい、自分で見つけたか他人から学んだかが、不明になりがちです。このようなレミニッセンスが剽窃とされることはありません。(p. 119)

/* 論文のモラルを説いた章での言及。コピペと引用の違い、注の付け方、剽窃などについてもきちんと解説されているので初学者はぜひしっかり目を通して欲しい */

参考文献としての翻訳書の扱い

 主題となるテクスト(カントとかシェイクスピアとか)ではなく、それについて書かれた参考論文にひととおり目を通しておく場合など、厳密さを要求しない重要性の低いものであれば翻訳も役立つ。

 また翻訳は解釈――「翻訳者の個性的な理解が表現」されたもの――であるので、「テクストの研究において批判的に検討すべき価値を持つことが少なく」ない(p. 134)

 翻訳には誤訳があったり、や一対一対応する語がなく微妙なニュアンスを表現しづらいこともあったりするが、それ以上に、原テクストには、単語一つを理解するにも論文数本分を要するような、奥行きがある*2ものなので、専門家レベルで論じるにはやはり原文を読むことが必要である。(pp. 139-52)

文章法・研究のメソッド

ノート

T・E・ヒュームの雑記法

 ノートを三冊用意。
 一冊のノートにアイディアから読書ノートからぜんぶつけていく。
 二冊目に整理・清書、三冊目は論文の原稿(p. 56)

→ 後者はどうでもよいが、なんでも一冊につけていくのは有効と佐々木はいう
 ながく続けていくと読み返した時いろいろ発見がある(続けないと効果は薄い)

ダブルノート法

 論文を書くためにある程度まとまった量の文献を消化していく時のノート方

  1. 議論をそのままたどって要約したノート
  2. キーワードを適当なスペースを空けて記入したノートに、文献を読んでいってそのキーワードに関係する場所に出くわしたら、該当する文献名とページ数を記していく。(p. 58)

 2は一種のインデックス・索引だが、自分の理解と関心に引きつけて文献を読み再構成すること――すなわち自分で制作することによるくくり上げ――の端緒として重要。意味にしたがってつけていくので(検索語とちがって)キーワードそれ自体が出てこなくてもピックアップすることが出来るのも強み。

/* コンピュータでやるならテキストファイルなりワードなりを用意して、見出し語としてキーワードを書いておけば、あとはどんどん該当箇所のメモを拾っていくだけでいいはず */

ディドロの執筆法

 何か著作をものするときには、大きな紙に「符牒となる単語」を思いつくままに書き出し、それを時間をおいてくりかえす。一段落したところで符牒となる単語をピックアップしその順序を考える。(pp. 78-9)

/* アウトラインの構成とほぼ同じだろう */

 このキーワードはダブルノート法でいうところのものに相当する(p. 85)が、「説明しようとすれば何ページにもわたるような思想のかたまりに付けられたタグ」というようなさらなる含みがある。これはすなわち「くくり上げられた観念」である(p. 86)。

「述べる」の貧しさ

 論文を書くときは文献を何度も参照するわけだが、その時、「誰それはしかじかと述べている」という表現ばかり使ってしまう問題がある

 英語には say, mention, refer to, claim, assert など類似した表現が多数あるのに対して、日本語にはそうした単語が少ないという事情はある。しかし、

〔参照先の〕発言の趣旨や、語調、姿勢などを特定するなら、対象としているテクストや参照している論考の読み方に奥行きが出てくるはずです。動詞のレパートリーが貧しいのは、読み方の平板さを反映しているようにも思われます。(p. 198、〔〕内は引用者)

 ***

 以上である。類書の多い論文指南書の中でも、unique な一冊ではないかと感じた。できれば学生の時に読んでおきたかった。本書を読んでから、そして折に触れ読み返しながら取り組むことができるこれからの学生は幸せだと思う。

*1:ちなみに長くかけないというのは他人にわかってもらおう、しっかり説明しようという意識が希薄なためであるとのこと

*2:ハムレットにおける incestuous sheets〔インセストの寝床〕や、カントを読む際の reason と Vernunft の違いを例に出している