Jablogy

Sound, Language, and Human

山田陽一『響きあう身体』

響きあう身体: 音楽・グルーヴ・憑依

響きあう身体: 音楽・グルーヴ・憑依

同著者の編による『音楽する身体』から引き続き,西洋の文化・学問においては周縁におかれてきた身体をフィーチャーする音楽論。音楽・グルーブ・ダンス,果ては憑依を,身体において生きられる経験の過程として動態的に捉える現象学の理論的枠組みを採用している。

とりわけ,ミリセカンドレベルのタイミングのずれから生じるグルーヴを,演奏者の視点から記述・分析する研究群を扱った第2章が分量も多く重要度も高かった。
著者自身の考察・見解は少なめであるものの,先行研究が網羅的にレヴューされており,今後のグルーヴ論はここを出発点にすることができるだろう。

/* 余談だが,ジャズ・ピアニストのヴジェイ・アイヤーは大学院出身だそうで,本書では彼の博士論文などが先行研究として普通に引用されており,いささか驚いた */

紹介されているものの中では,チャールズ・カイルの「参与的なずれ participatory discrepancies」の概念が――多くの批判も寄せられており,なかでも創出・中立レベルの区別に関するものはクリティカルに思われたが――グルーヴ現象の説明の橋頭堡としてまず押さえておくべきだと思われた。

「参与」とは,人々がみずから音楽に参加したり,また音楽に引き込まれるようにして,それに参与することをさしており,「ずれ」とは,一人の演奏者のなか,あるいは複数の演奏者のあいだで生じる,ごくわすかな音楽的差異もしくは不一致を意味している。つまり参与的なずれとは,人びとが演奏に参加することによって不可避的に音楽的なずれが生じ,そのずれによって生み出されたグルーヴが人びとをさらに音楽のなかに引き込む,というループ的プロセスとして理解することができる(p. 93)

演奏時に感じられる一体感や微妙なタイミングのコントロールを記述するには現象学を使うとよいのかもしれないと個人的に感じていたこともあり*1,本章の論考は我が意を得たものであった。

他には,精霊の憑依現象を「フロー」ないし「ゾーン」的な音楽体験・心理状態と関連付けて論じた第6章が儀礼と音楽の関係からも意義深い。
変性意識の話だと脱魂時に気を失うエクスタシーの印象が強いが,著者が調査したワヘイの人びとの竹笛合奏においては意識は保ったままであり,私達もしばしば経験する自身が音楽そのものになったような合奏時のあの感覚と近いらしい。興味深い指摘である。

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以上,リズムや合奏やライヴなどといった音楽における重要な(集合的)体験を個人の内面・主観的視点から深く考察してみたいという向きにおすすめしたい。

*1:Twitter の #じゃぶドラムメモ というハッシュタグ現象学を意識した記述をいくつか試みていたり