Jablogy

Sound, Language, and Human

ロビン・ケリー『セロニアス・モンク:独創のジャズ物語』

セロニアス・モンク 独創のジャズ物語

セロニアス・モンク 独創のジャズ物語

 インタビュー資料が少ないために,謎が多かったというモンクの生涯と音楽。アフリカ系アメリカ人歴史学者である著者が,私的な録音や関係者へのインタビューなどの一次資料を11年の長きにわたって蒐集し,それらを分析することにより不明瞭だったモンクの実像に迫ろうと試みている。

 テキストクリティーク,他文献との突き合わせによる考証,背景である米国の歴史とモンクの事績との関連付け,などのクオリティはさすが歴史学者だけあって高い水準を保っている。ディスコグラフィーを文字に起こしてエピソードを羅列しただけのジャズ史本とは一線を画しているといえよう。

 あえて難点をあげるなら,全体のアウトラインを把握しづらいというところがあるだろうか。演奏技法やスタイルによっていくつかの時期に区切って理解することが可能なマイルス・デイヴィスなどの場合と違って,モンクの生涯自体が節目をつけづらいところがあるようなので仕方のないところかもしれないけれど。

 以上のような手法で描き出されたモンク像は,なんとなく一般に持たれている「謎めいた」とか「狂気の」とかのイメージとは異なるものだった。むしろ,自分の価値観に忠実すぎて付き合いづらいところはありつつも音楽や仲間に誠実な人だったんだなという印象である。

 訳者解説にもあるように,そうしたモンクをロレイン・ライオン,妻ネリー,パノニカ夫人といった女性たちが支えていたわけだが,歴史における女性の貢献を見落とさない目配りは現代の社会研究の基本を押さえたものだといえよう。

 社会的背景としては,やはり薬物の危険性――依存症になるだけでなく精神障害のきっかけになったり,症状を悪化させる要因になったり――が印象深い。当時のニューヨークの薬物汚染がなければもっとたくさんの名盤・名演が生まれていただろうにと思うとやるせなさが募る。ジャズ・ミュージシャンたちのお金や家族関係のトラブルといった不幸も少なく済んだのだろうし。1

 精神医学がまだあまり発達していなかったのも厳しかったポイントだなと。モンクがかかっていた医師など「ビタミン注射」に覚せい剤を混ぜていたという……。

 モンク個人の事情としては,クラブで演奏して働くための許可証であるキャバレーカードを停止されてしまったことが経済的な打撃として大きかったようだ。停止のきっかけも警官に因縁をつけられたことだったりするわけで,人種差別の音楽への影響は理念的なものにとどまらず社会制度的レベルからあるのだなと改めて認識した。

 キャバレーカード停止のためにツアーやレコーディングが収入の頼りだったそうなのだが,コンサートが酷評されたためにツアーをキャンセルされて困ったことになったりするなど,批評が実際的な力を結構もっていたらしいことも印象的な事実であった。

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 知識のシェアと書籍への導きとして,以下に興味を引かれた点を列挙しておこう。気になるところがあれば本書を手にとってみてほしい。

育ち・音楽的背景

クラシック音楽に興味も知識もないという往時の世評に反して,レッスンも受けてたし,知識もあった(p. 27, pp. 56-7)

モンクの両親はプロのミュージシャンではなかったが,母はピアノ・賛美歌・ゴスペル,父はピアノ,ジューズ・ハープ(口琴),ブルース・ハープなどを演奏できた(p. 43)

アート・テイタム的なスタイルの速弾きもやろうと思えばできた(p. 114,原注第5章(4))

幼いころ住んだハーレムのブロック(サンファンヒル)にはカリブ系の人も結構いた。したがってラテンの影響も受けいている。
例えば〈ベムシャ・スウィング〉はバルバドス島出身のドラマーデンジル・ベストとの共作で,ベムシャ(もとは Bimsha)とはバルバドス島の愛称である(p. 53)

幼いころ録音を聞くといえばピアノロールのことだった(p. 55)

モンクがティーンエイジの頃は喧嘩の強いモテ男だった(pp. 63-5)

ペンテコステ派の伝道師にくっついて中西部・南西部をツアーして回ったこともある(4章)

モンクにとっての一番のアイドルはデューク・エリントン(p. 286,)

ビバップのオリジン

ケニー・クラークのスタイルの背景:

デューク・エリントン・バンドのジミー・ブラントンによる革新の後になると,ベース奏者こそが〝テンポ設定器〟になっていた。ドラマーはもっと自由に,当たり前ではない場所にアクセントを置くようになっていたのである(p. 102)

ミントンズで下手くそを排除するために楽曲を複雑化させていったというのは誇張(pp. 107-8)
デューク・グロナーいわく「『ミントンズ』は,結局のところビバップが演奏される場所にはならなかったが,その理由はやってくる連中の中にはビバッパーじゃない人たちもいたからだ」(p. 111)

バド・パウエルは最初ハーモニーがよくわかっていなかったのでモンクが教えてやった。(p. 127)
駆け出しのバド・パウエルが演奏しようとして聴衆に嫌がられたとき,それなら自分も弾かないぞといって受け入れさせた(p. 128)。// めちゃいい先輩である。

バードやディジーがやっていることのアイディアの多くは自分が元だが,彼らほど自分は評価されていない,と不満を表すモンク(pp. 157-8)
モンクいわく,アイディアはみんなで出したがピアノはハーモニーとリズムを担うのでモンクのスタイルがビバップのそれということになった。
「ディジーとかチャーリーとか,残りの連中は,最初の頃はほんのときたま〔ミントンズに〕やって来ただけだよ」(p. 183,〔〕内は引用者)

精神障害

モンクの精神障害はいまでいう「双極性障害」(p. 30)。 薬の副作用などで表面上はさらにややこしくなっていた

1959年から治療にあたったロバート・フレイマンは「ビタミン注射」にアンフェタミン覚せい剤〕を混ぜて打ったり,ベンゼドリン〔アンフェタミンの商品名〕の錠剤をニカに処方したりしていた。そこからきたあだ名が Dr. Feelgood だそう(p. 401)2

親しい人――コールマン・ホーキンスバド・パウエルのエピソードが特に印象深い――の死がモンクをたびたび強いうつ状態に陥らせた。

父は死というものに上手に対処できない人だった。自分の母親が死んだときに頭がおかしくなった。そしてロニー〔妻方の甥〕が死んだときも頭がおかしくなったんだよ(モンクジュニアのインタビュー,p. 510,24章注(18))

批評

レナード・フェザーはモンクに対して評価が辛かった。
インサイドビバップ』でバップの祖をディジーとし,バードは補助にすぎないとする。モンクは寸評で片付ける(pp. 222-3)
停滞を指摘(p. 559)
一度は「モンクのことを見誤ってきた」と謝罪する(p. 580)もその後も酷評を出したりしている(pp. 633-4)

1957年「タウンホール」でのコンサートの後,ガンサー・シュラー他による酷評が出ると,リバーサイドの経営者はそれを受けてモンクのツアーを中止にした(p. 397)。なお Thelonious Monk Orchestra At Town Hall は後に名盤になっている。

アヴァンギャルドが中心になったことで奇抜さば目立たなくなり,むしろ保守側に位置するようになる。またオーネット・コールマンドン・チェリーセシル・テイラーらはモンクをリスペクトしていた。 モンクもコールマンもジャズと黒人音楽(ブルースや教会の音楽など)の伝統に根ざしていた。(pp. 420-2)

日本での評価は好意的(pp. 499-502)

モンクを支えた人々

ジャズマンのパトロンで有名なパノニカ・ド・コーニグスウォーター男爵夫人は「ロスチャイルド家の一員」だった(p. 257)

白人の高校教師ハリー・コロンビーにマネージャーになってくれるよう依頼(p. 295)。コロンビーは後に著作権の整理などもおこなう(pp. 473-4)

妻のネリーはインタビューを介助したり,経理を処理したりなど,公私に渡りモンクを支えた(pp. 451-4 ほか)

その他

黒人教会といえど,20世紀の北部のバプテスト派なんかだと,ブルージーなスケールやシンコペーションは「事実上存在していなかった」(p. 76)

〈スターダスト〉は音楽的に出来が悪い曲だとのモンク評(p. 116)

ナチと戦いながら黒人を差別する合衆国のダブルスタンダード(p. 131)

サイドマンは耳で音楽を覚えるべき(エリントンやミンガスと同じ考え)(p. 190)

マイルスとは反りが合わなかったようで,しばしば喧嘩をしていた(pp. 244-5 など。ほかはメモし忘れた)。
一応,有名な「ケンカセッション」でマイルスが自分のバックではピアノを弾くなといったのは事実らしい。しかし,その理由は純粋に音楽的なものであって(バラードでもホットに弾いてほしいがモンクはそうでない,モンクのヴォイシングがマイルスにとって快適でない),特に悪意があったわけではなく,そのときには喧嘩もしていない,というように当人たちは述べている(pp. 269-70)。

演奏中に踊りだす癖について
共演しているメンバーにとっては,モンクが踊るかどうかは,その場の演奏がスウィングしているとモンクが感じていることの指標だった(p. 347)

モンクからすると踊る理由ははっきりしていて、疑問の余地はなかった。「ピアノに向かって座っていると飽きるんだよ! 踊るとリズムをもっと楽しめるからね」。教会で育ち、伝道師との旅の途上で信者の忘我の表現を目撃した経験が、モンクにとって音楽に合わせて踊ることを自然な反応にしたのだ。(ibid.)

ビート・ジェネレーションの人々はジャズをマスキュリニティの復権,ないしオルタナティブなマスキュリニティとして高く評価した(p. 348)

「メロディがよくわかっていれば,ソロはもっと良いものになるんだ」(p. 379)。コード進行だけで発想すると画一的になってしまう。

 


  1. 薬物はそれ自体の問題よりも社会環境とそれとのコンビネーションの方に着目すべきという議論が強まりつつあるとのこと[春日匠「コカイン中毒は本当に社会問題の本質なのか? ―― 視点の多様性のために、カール・ハート博士の議論から考える」『天使もトラバるを恐れるところ』 http://blog.talktank.net/2019/03/blog-post_16.html,2019年,2019/03/16取得]。確かにジャズミュージシャンたちも差別や金,プレッシャーなどの問題がなければそこまで破滅的にならずに済んだ場合もあるのかもしれない。

  2. ビートルズの〈Doctor Robert〉もこの人がモデルだと聞く