Jablogy

Sound, Language, and Human

大橋崇行『ライトノベルから見た少女/少年小説史』

文学研究者による近現代日本の〈物語文化〉論。

文芸評論・文学研究においてもサブカルチャー評論においても言説のエアポケットになってきた少女/少年小説にスポットライトをあて,幕末~昭和のエンターテインメント文芸とまんが・アニメ・ライトノベルとの推移・接続を描き出している。オタクカルチャーを歴史的に理解する上ですこぶる有用な一冊であるといえよう。

本書が優れているのは,メディア横断的に物語やキャラクターのモチーフ・様式が受け継がれていることを明らかにしている点であると思われる。

特に60年代までの少年小説・ジュニア(少女)小説が,それらの読者であるアニメ製作者を通じるなどして,まんが・アニメの先駆となっている(そして小説メディアとしては一旦流れが切れているのでラノベが全く新しいジャンルとして誕生したように見えた)という説明には驚きとともに深い納得感を得た。

 

私達が日頃親しんでいるキャラクターの典型的なパターンには明治や大正の少年・少女小説に端を発するものが多くあると知るのも楽しい読書体験だった。

マリア様がみてる』によく似た設定の女学生ものが大正時代に書かれているとか,ドロンジョ様のような悪の女幹部の喋り方が『女海賊』(1903) にすでにあるとか。

類似点があるからと一足飛びに平安文学などをオタクの源流とするような言説とは異なり,モチーフの連続性を具体的に挙げることで地に足の着いた論考になっている印象も受ける。

 

キャラクターの定義・特徴付けについても,従来説に手短ながら核心にせまる批判を付し,役割語ないし「キャラ語」を用いた台詞の様式化を要点とする自説を展開している。

中でもキャラクターを確立するのに様式化された口調という日本語の特性が寄与しているという説明は興味深い。

なお,様式のセットを重視する点は著者が批判する「データベース理論」と変わりがないような気もするが,参照先が実は明治・大正まで広がりを持つと指摘し理論を拡張したことにはなっているはずである。

また柄谷行人などが唱え大塚=東=伊藤などが依拠する「自然主義文学」観や少女小説・ジュニア小説をアカデミックな場で語りにくいものにしていた「児童文学」観などを,近年の文学研究の成果をもとに相対化し修正してくれている点も大いに参考になった。さすが文学研究プロパーな著者だけはある。