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松永伸司『ビデオゲームの美学』

ビデオゲームの美学

ビデオゲームの美学

美学研究者による分析美学的なビデオゲーム研究。博士論文をもとにした本格的な理論的研究の著作ゆえに読者への要求水準も低くはない1が,個人的にも親しみのある文化が精緻かつ明晰な理論によってエレガントに説明されていく様子は,ゲーム研究の門外漢にとっても読んでいてある種の知的な興奮を覚えるものであった。

全体的な流れとしては,ビデオゲームの記号システムを一つの統語論(画面と音声からなる「ディスプレイ」に示される要素)と二つの意味論(虚構世界/ゲームメカニクスを表す)という水準にわけることによって,それらの区別がない先行議論の混乱をすっきり整理していくという構図になっている。

この議論の運び方は,創出/中立/感受のレベルをわけることでその区別がない先行議論を批判するジャン=ジャック・ナティエ『音楽記号学2増田聡『聴衆をつくる』3の作法と似ているかもしれない,という印象を受けた。

また,定義にはどういう種類があってこの場合にはどれを使うか,芸術をどういう観点から定義するか,インタラクティブとはどういうことか,ゲームとはなにか,リアリティとはなにか,など本筋以外にもいろいろ広がりがありそうなトピックが散見された。ビデオゲームにはそれほど関心のない人にも読めば収穫がありそうである。

特に,出発点として対象を確定するための定義と議論全体を通じてなされる特徴づけ(≒定義?)を区別していること,また全体を通じてなされるビデオゲームの定義を名目的本質明らかにするものとすることで人工物に実在的な本質を求めるのを回避する点(pp. 316-7, n.2)などには蒙を啓かれた感がある。

終章では美的行為をもたらすべくデザインされた人工物としてのゲーム,ひいては遊びの哲学への展望が語られている。「美的行為」の概念は第7章でゲームメカニクスを説明するために導入されたものだが,これをを他の事象にも適用することで,いままで見過ごされてきた様々な人間の行為が研究の対象として浮かび上がってきそうな気がする。

私が思いついたところでは,ただ歩くだけの散歩とは何が楽しいのか(美的行為としての散歩)とか,自動車を運転することと「乗り味」のデザイン,楽器を演奏することの楽しみ,ジャズにおける「当意即妙」の重視といった音楽外のことがらのように思える価値,などが挙げられようか。

これらには明らかに美的な判断や趣味・好みが関わっていながら,作品を鑑賞するという通常の芸術の枠組みではあまり注目されないもののように思われる。美的行為の概念や遊びの哲学という領域でこれらが論じられるとしたら,それは私達のいろいろな経験やその理解をより豊かにしてくれるのではないだろうか。

著者による今後の掘り下げに期待したい。

 


  1. マリオやテトリスぷよぷよは注釈なしで言及されるし,ある程度のゲーマーでも事例にあげられる作品のすべてをプレイしている人は多くないかもしれない。プレイ動画などを見て補う必要があろう。逆にゲームは詳しい人でも,分析美学や記号論,論理学(特に一階述語論理)を全然知らないと理解が難しい箇所があると思われる。「統語論」「意味論」の用語法に限っては,N・グッドマンやJ・カルヴィッキに従ったものなので,一般的な言語学記号論の用法を知っているとかえって混乱するかもしれないが。加えて,ゲームスタディーズの研究者なら当然知っているであろうということから,あるいは不要な論争を避けるために,明示していないトピック・文脈もいくらかあるようだ。

  2. Nattiez, Jean-Jacques. Musicologie Générale et Sémiologie. Paris: C. Bourgois. 1987. (ジャン=ジャック・ナティエ『音楽記号学』足立美比古訳,春秋社,1996年)

  3. 増田聡『聴衆をつくる ―― 音楽批評の解体文法』青土社,2006年