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大谷能生『平成日本の音楽の教科書』

平成日本の音楽の教科書 (よりみちパン! セ)

平成日本の音楽の教科書 (よりみちパン! セ)

  • 作者:大谷能生
  • 発売日: 2019/05/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
大谷能生『平成日本の音楽の教科書』よりみちパンセシリーズ,新曜社,2019年


ジャズミュージシャンにして批評家の著者が平成の30年間に出版された音楽の教科書を網羅的かつ予断を交えず読み,それらのデザイン方針や内在するイデオロギーを明らかにしつつ,理想的な使い方の提案をしていく一冊。

〈よりみちパンセ〉シリーズゆえ中学・高校生程度を対象に書かれてはいるが,音楽教育に現れているナショナリズムを考えるうえで一般の読書人にも極めて有益であるといえるし,音楽は好きなのに音楽の授業には違和感を持っていたという人にもぜひ読んでいただきたい書物であった。


個人的に面白く読んだポイントをいくつか紹介したい。

まず小学一年生の教科書で,いの一番から「みんな」となかよくなるために音楽を使おうとするという話。集団本位というか集団への協調性・従順性を第一に涵養しようとする日本の教育の傾向が現れているように思えた。

小学校の教科書には「歌唱共通教材」としていまだに唱歌が載っているそうで(p. 76),こういう戦前のカラーを払拭できなかったのもやはり「逆コース」のゆえなのだろうか。

戦後の学習指導要領(1947,昭和22年)においても,軍国主義は反省されつつも,クラシック音楽の鑑賞による情操と人間性の涵養をめざすという,教養主義的・ロマン主義的な立場がとられていたそうなので,逆コースのためだけでもないかもしれないが。


第2に,教育基本法改正恐るべしという話。

現在〔2019年時点〕の二十五歳以下の人たちはみな,中学校時代に三味線とか箏とか尺八とか,なんらかの和楽器を習ってる! んです(p. 126)

平成20年改訂の指導要領「総則」において,「道徳教育」の促進が「全教科共通」のものとして指導されている(p. 129)

というような状況になっているそうで。いやはや。


最後に,著者の提唱する「ポピュラー邦楽」という概念。

それは,江戸時代から戦後まで保たれてきた「長唄常磐津・清元・新内・小唄(および、浪曲と音頭)といった『三味線歌謡』の総称」で(p. 144),

これらの歌は、歌舞伎という娯楽と、遊郭という「遊び場」を二大ジェネレーターとして生み出され、日本の庶民が自分たちの楽しみのために代々受け継いできた、きわめて民族的な「伝統音楽」の、そのもっとも太い流れです。(ibid.)

なのだそう。演歌や歌謡曲にこれらの伝統が自然と流れ込んでいたということで,この『「ポピュラー邦楽」というかたちで「日本の伝統音楽」を受け継いできていた」のだと大谷は述べている(p. 147)。

サンバやアフロ・キューバン音楽であるとか,ブルースやゴスペルのような,伝統的な文化と連続性をもったポピュラー音楽が日本にはなないのはなぜかという疑問を個人的にもっていたのだが,それは実際には「ポピュラー邦楽」とその影響を受けたポピュラー音楽として存在した,というふうに整理できるのだなと。

大友良英氏もどこかで歌謡曲の風変わりさこそが自分たちのオリジナリティだったんじゃないかみたいなことをおっしゃっていた記憶。[ソース失念])

そしてこの「ポピュラー邦楽」の伝統はJ-POPの隆盛とともに途切れてしまった。それがなぜかは大谷にも今後の課題のようだし,われわれも考えていってよいテーマであろうと思われる。