Jablogy

Sound, Language, and Human

ケニー・ワーナー『エフォートレス・マスタリー――あなたの内なる音楽を解放する』

【書誌情報】 - ワーナー,ケニー 2019『エフォートレス・マスタリー――あなたの内なる音楽を解放する』藤村奈緒美訳,ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス(原書:Werner, Kenny. Effortless Mastery: Liberating the Master Musician within. New Albany, In: Jamey Aebersold Jazz, 1996.)

 

アメリカのベテランジャズ・ピアニストが達人の演奏とはどのようなマインドセットにおいてなされるものか,1冊を通じて語り尽くす(D・サドナウ『鍵盤を駆ける手』で読みたかったのはこういう話だったかもしれない)。1月初旬に読んで早くも個人的今年ベスト10入りが決定しそう1

その主張の核は〈エゴを捨てて,音楽のよさそのものに集中すること〉にある――これも一種の自己超越だろう。フランクルの思想は演奏にも関係があったというわけだ。私が追ってきたよき音楽のための読書とよき生のためのそれが,本書において合流をみせたといえる。

エゴへの囚われから脱却することに関して,『弓と禅』という西洋に禅を広く知らしめたという著作が繰り返し引用される。「相手に勝とう」とか「こういうふうに射ろう」とか考えたために的を外す様子は成田美名子の漫画『Natural』や最近見たアニメ『ツルネ』で繰り返し描かれていたので,演奏でも同様であることがイメージがしやすかった。

また,誰かに比べて自分をよく見せようとする動機だと,やるべきことの多さに圧倒されて逆に取り組めなくなり,先延ばし地獄に陥るというのは,本当に我がこととして理解できる。

精神論だけでなく,実際の演奏において,達人たちが何をやっているか,どう考えているかについてもしっかりした言及がある。例えば,フレーズやリックが完全に自分のものになっていて演奏するのに全く無理がないこと,そうしてマスターした同じフレーズを繰り返し使うこと,それでいていつでも新鮮に響くその人の声となっていることなど,薄々みんなわかっていながら上手く言えなかった現象を巧みに掬いだしているといえる。これらが事実――すくなくとも一つの真実であることは,世界的な演奏家の(生)演奏を観たことがある人ならわかるはず。

世界的な達人とは,スティーブ・ガッドエルヴィン・ジョーンズ,あるいはマイルス・デイヴィスがそうであるように,必ずしも凄まじい速弾き等ができるヴァーチュオーゾであるとは限らない。本当にその人の声となっていてなんら無理なく弾けるフレーズ,サウンドは自ずと人を感動させるものであり,それができるのが達人であると。その視点からあまり派手な演奏をするのでないプレイヤーを聴き直すと,あらたな評価の可能性を見出しうるかもしれない。

そうした達人のひそみに倣ってか,本書の記述も同じ(ような)ことを繰り返し言っていたりもする。冗長だと感じるかもしれないが,それだけ何度繰り返してもかまわないくらい重要なことを言っているのだということだろう。

エフォートレスな演奏はサマーディなマインド状態でやるもの,そしてチクセントミハイによればフローはサマーディとかなり似ている,ということらしい2。だとすれば,エフォートレスな演奏は概ねフロー状態で行われると言ってよさそうだ。

フローにおいて,全く簡単にできてしまう動作・行為だけをやっていると,退屈になってそこから醒めてしまう傾向もあるという。そう考えると,エフォートレスであることとは矛盾してしまうような気もするが,エフォートレスにやるために集中して演奏すること自体がチャレンジングだから大丈夫,という可能性もあるだろうか。

ツアーで同じ曲をやり続ける際に,飽きてしまわないようテンポをだんだん速くするのだと誰かが言っていたインタビューを読んだ記憶もあるのだけれど3,フローに入ってよいパフォーマンスをするための難易度調整という面がもしかしたらあるのかもしれない。


  1. よかった本の記事を盛り下げて終わりたくないので,トリヴィアルだけど気になってしまった言葉遣いだけ先に書いておこう: (1) スピリチュアリティを「精神性」と訳してるのにちょっぴり違和感があった。本書の文脈だと「霊性」の意味が強いと思うのだけど,宗教に限定されないことを考慮した訳語選びなのかも。(2) 著者が使ってる「機能障害」は,調べてみたところ包括的な用語すぎて具体的にどういう病状だったのかはわからない感じだった。
  2. ミハイ・チクセントミハイ『フロー体験――喜びの現象学』今村浩明訳,世界思想社,pp. 130-4.
  3. ソースがあやふや。マイルスはなんども同じ曲をレコーディングしているとテンポが速くなっていったと自叙伝で言っていたけれど,意図的にそうしていたのかは不明(cf. マイルス・デイビス & クインシー・トループ『Miles――マイルス・デイビス自叙伝』中山康樹訳,JICC出版局,1991年,pp. 435-6)。