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Sound, Language, and Human

スティーヴン・ミズン『歌うネアンデルタール――音楽と言語から見るヒトの進化』

【書誌情報】 ミズン,スティーヴン 2006 『歌うネアンデルタール ―― 音楽と言語から見るヒトの進化』 熊谷淳子訳,早川書房 (原書: Mithen, Steven. 2005 The Singing Neanderthals: The Origins of Music, Language, Mind, and Body. London: Weidenfeld & Nicolson.)

 

認知考古学の第一人者が音楽と言語の起源にせまる書。前半は現代人の音楽・言語へ脳科学・心理学からアプローチした研究を参照,後半は人類進化の歴史をたどり,音楽と言語は Hmmmm 1 という身振りと音声とが一体となった言語の先駆形態から分かれたという仮説を提唱する。

先史時代の音が対象なのでどうしても推測に頼らざるをえない部分も少なくないようだが,論証の段取りが周到なので説得力は高く感じられた。

とりわけ,音楽の能力と言語の能力はオーバーラップする部分がありつつ,それぞれ独立しているということが丁寧に示されている。両者に深い関係があることは演奏者として実感と確信を持ってはいたものの,なにがどうなっているか説明したクリアな議論はあまり見かけたことがないので,とても刺激的だった。川田順造が太鼓ことばの分析から直感的に洞察した「ある共通の原体」2はひょっとすると Hmmmm[m] のことなのかもしれない。

普遍的な「人間の音楽性」がテーマであるため,民族音楽学者ジョン・ブラッキングやブルーノ・ネトルの言葉が繰り返し参照されている。加えて,著者自身が音楽を愛しつつも西洋音楽の基準では低評価を受けてしまうタイプだそうで,それゆえ西洋音楽に限定されない本源的な言語能力・音楽能力は誰にも備わっているのだと示したい3というモチベーションもあるのかもしれない。

そうした民族音楽学の文脈,そしてチョムスキー以降の言語学の状況をだいたいでも知っておいた方が,本書をより楽しめるだろう4

あまり指摘されていなそうなところで,民族音楽学的に興味深かったのは,音楽と霊性との関係について言及している第14章「共同で音楽を作る――協力と社会のきずなの重要性」である。

この章でミズンは『世界史』で有名なあのW・H・マクニールによる議論を紹介している5。その論によれば,リズムにあわせて人々が互いの動きを同期させることで「境界の消失」が起こるのだとか(p. 299)。

そのような現象が起こるのは脳内でエンドルフィンが分泌されるからだとして、なぜ仲間と一緒にやった方がそうなるように我々は進化したのかが問題として残る,とミズンは指摘する。踊りによって協調性を高めたものの方が繁殖成功度が高く、よりサバイブできたのではというのがマクニールの説だが、ミズンは音楽がなぜ繁殖成功度を高めるか不明であるとし、さらに協調行動についての考察を深めている(ibid.)。

それによると、石器時代のホミニドたちの集団でも狩りの協力などを巡って囚人のジレンマ的状態が生じた(pp. 304-5)が、「境界の消失」が起こることによって、全員が自集団=自分的な感覚になり、裏切りやフリーライディングが起こりにくくなる(pp. 307-8)し、素早く協力しなければならないときなど「ただ相手を信じる方が効果的な場合もあったはず」なので、「自己同一性を抑え、かわりに、感情のこもった、つまり音楽的に豊かな『Hmmmmm』の発声と動きを共有することで集団同一性を作りだせる個体が成功したと考えられる」という(pp. 310-1)。そして北緯度地域への進出、更新世の気候変動を乗り切るのに、協力の必要性がさらに増したこともあって、「共同での『Hmmmmm』 の音楽作りが初期人類の社会じゅうに広がった」のだと(p. 311)。

繰り返しになるが、当否はさておくとしても、演奏者として実感される「境界の消失」感について、人類進化や神経科学の側面からしっかりと学問的に論じられているというだけでもありがたく感じられる。

なお葬送の誕生にも Hmmmmm の感情喚起や境界の消失が一定の役割を果たしたのではないかと述べており(pp. 311-4),デュルケームの集合的沸騰の概念6を思い起こさせる議論である。

さらに最後の17章では音楽を使った霊的存在や他界とのコミュニケーションの普遍性が論じられている。いわく,音楽はかつて Hmmmmm だったのでそれを使ってコミュニケーションしたいという衝動が残った。ヒト相手なら言語でコミュニケーションすればよい。言語ではコミュニケーションが難しい存在=超自然的存在へと「音楽でコミュニケーションする性向」が向かったのだ,と(p. 385)。

この点で Hmmmmm 仮説は,ロドニー・ニーダムが1967年に提起した問い――「なぜ叩いたり振ったりすることで生み出される噪音が他界との交信にこれほど広く用いられるのか」7――へのひとつの回答でもあるといえよう。

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それにしても,音楽と言語と人間といえば当ブログのタイトルそのもので,まさに私が関心のある領域と合致した著作だった。大事な本ほど時間をかけてしっかり読まねばと意気込むせいで,つい後回しにしてしまう法則があるように思われるが,本書ももっと早くに読んでおけばよかったと反省しきりである(とはいえ,にわかに改善できるかどうかは定かでない)。


  1. 全体的 Holistic、多様式的 multi-modal、操作的 manipulative、音楽的 musical の頭文字を取ったアクロニム。後にホミニドが動物の姿や動きなどを模倣的 mimetic に表象するようになると m が一つ増えて Hmmmmm となる。不思議な綴りの術語だがなんと発音するかは明示されていない。仮に,考え中であることを示す間投詞 hmm と同じ /hm/ 「フーム」と同じだとすれば,言葉にならない音とジェスチャーによって全体的かつ操作的な意味(「よくわからない」「ちょっと待ってくれ」)を示すというこのコミュニケーション様式のあり方を,この術語自体が例示しているのかもしれない。
  2. 川田順造武満徹『音・ことば・人間』同時代ライブラリー,岩波書店,1992年[原著 1980年],p. 63. 当ブログに紹介記事あり: https://ja-bra-af-cu.hatenablog.com/entry/20110603/1307134657
  3. ちょうどトマス・トゥリノが 『ミュージック・アズ・ソーシャルライフ――歌い踊ることをめぐる政治』(野澤豊一・西島千尋訳,水声社,2015年)でそうしたように。
  4. というかそれらがない場合,ともすれば本書の何が高く評価されているのかピンとこなかったりするかもしれない。本ブログを追ってくれている読者――そんな奇特な方がいるとしてだが――ならなんの心配もないだろうけれど)
  5. McNeill, William Hardy. Keeping Together in Time : Dance and Drill in Human History. Cambridge: Harvard University Press, 1995. 私自身は未読。
  6. エミール・デュルケーム『宗教生活の原初形態』上下巻,古野清人訳,岩波文庫,1975 [1912]年
  7. Needham, Rodney. “Percussion and Transition.” Man. newseries vol.2, Royal Anthropologycal Institute of Great Britain and Ireland, p. 606.