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シノハラユウキ『物語の外の虚構へ』

【書誌情報】
シノハラユウキ 2021 『物語の外の虚構へ』 logical cypher books 02,個人出版

概観

分析美学/哲学,特に描写の哲学とフィクション論をオタク系ポップカルチャーの批評へ応用する試みを続けている著者が,10年以上にわたり各所に書き続けた論考をまとめた個人出版1

文章の量も議論の濃さもなかなかのものなので,読むにも感想を書くにも時間がかかってしまったが,ようやくここにアップロードすることができた。

本書の議論の特色は,一貫して著者自身がこれはよい,すごい,不思議だと感じた表現・現象を説明するために理論を用いる点にある(もっといえば本書に限らず著者はそうした姿勢を貫いている)。単に難しいことをいうためではない真剣でまっとうな理論の使い方だと評することができるだろう。

トピック/議論の対象としては,普通に物語として提示されるフィクションからははみ出るような周縁的な現象・事象を取り上げている。

そうした事象としては,たとえば,アニメOPやマンガにおいて描かれる独特の虚構性をもったオブジェクトや装飾,アニメの物語世界内で実際に起っているとは考えられないが画面に描かれ私達が目にする印象的かつ象徴的なシーン,声優ライブにおいてキャストが演じるキャラクター本人に見える現象,などが挙げられる。

このような領域にこそむしろメディア横断が常態となった現代のIP・コンテンツ表現において重要な想像力使用の構造があるのだといえよう。

理論的な貢献

本書でも軽く触れられているように分析美学の批評への応用自体があまり盛んではないわけだが,本書は単に批評理論として応用するだけでなく,理論を批判的に継承・更新しようという姿勢も備えている。目についたところで,

  • 「声のキメラ」概念の更新と「ダンスの遊具」への拡張
  • 「マンガのおばけ」概念を洗練
  • 「想像的オブジェクト」により想像のヴィヴィッドさが増大することを論じる
  • 2.5次元とはいかなるメイクビリーヴか」においてウォルトンのメイクビリーヴ論を拡張。想像の種類を区分2し,コンテンツツーリズムにおける想像形式などを精緻に説明する

などがあげられようか。

独自の理論としては,「テンポラリーな対象・空間」「分離された虚構世界」概念を立てることにより,マンガ・アニメでよく見られるが言語化しようとするといわく言い難い(ともすればメタ的とか自己言及的と言いたくなるような)虚構表現を明快に説明づけている。

身近なポップカルチャーに不思議な現象を見い出し、それを理論的に説明づける楽しみはよい研究や批評の醍醐味であろうし,個人的には2000年代に東浩紀増田聡を初めて読んだ時の感興を思い出すような心持ちであった。

読者としても,分離された虚構世界のアイディアは,虚実の境が分かりにくい作品でどこからどこまでが作品内世界の出来事か記述する際などに参考にできそうだし,「2.5次元とはいかなるメイクビリーヴか」の想像の分類・見取り図は,著者自身あとがきで述べているように(p. 528),作品から現実側へ拡大されたフィクションを論じる上でツールとして利用しやすいだろうと思われる。

構成のよさ

収録作が書かれ始めた少し後くらいから批評仲間のひとりとしてお世話になり,著作も追っていたので,本書収録の論文には既読のものも少なくなかった。

氏と交流し論議を深める中で曲がりなりに分析系の議論をかじってきたおかげで,いまではより深く理解できるようになっていたということもあるが,それだけでなく,昔読んだ論もいまこうしてまとめられた一つの文脈で読むと,その位置付け,やっていること,意義などがわかりやすくなるように感じられた。

おおむね時系列に則りつつの配列だが一部そうではないものもあり,あとから書かれた論文で乗り越えられたり修正されたりもしているので,初めて触れる方はそのつもりで慌てずひっかかりすぎず読むのがよいだろう。

音楽とフィクション論を結ぶことの可能性

書かれたのは収録作の中では初期のものでありながら最後の部に置かれた音楽論は、ただの付け足しではなく、当初から通底・継続する関心・動機の提示と、それゆえの今後の議論や応用の可能性を示している

特に「~Go-qualia 試論」は,初読の時点ではその趣旨を十分に理解できていなかったが,本書を通読した最後に読むことで,ある種の崇高を感じさせる音楽体験をフィクション論の視点から論じようとしたものであることがありありと理解できた。

異世界の音を聴いている」という体験を引き起こしたライブ中の轟音を「描写対象なき聴覚的な描写」(p. 495),「テンポラリーな対象の描写による異世界の音の知覚という体験では」(p. 497)と位置づけるアイディアは,当ブログでも何度か引き合いに出しているエクスタティックな宗教儀礼――それこそ異世界とのコミュニケーションとされる――における音楽の役割・効果をフィクション論から考えることもできる可能性を示唆しており,個人的に興味深く感じている。

音楽がデモーニッシュな性質をもつゆえんは,聴覚が原始的な領域と結びついていることからくる感情を揺さぶる効果が大きなところを占めるだろうとは思われるが,音量の大きさ・強さであったり,倍音などの構造が整然とした自然法則に則っていたりすることなどが,言表不可能な「崇高ななにか」「形而上的ななにか」を描写しているように知覚されるという側面もあるのでは,などと想像がかき立てられる。

標題音楽絶対音楽の対比に代表されるように,歌詞のない器楽もなんらかの描写になり得ること,そのときどういう描写であるのか,あるいはなんの描写にもならないのはどんな条件によるのか,などは音楽美学としても重要なテーマであるはずだ。

本論ではあまりの重低音で「時空歪んでる」と言っていたツイートが紹介されているが(p. 501),個人的にはチャンギートのような強烈なポリリズムを聴くと時空間が捻れているかのように感じるし,エルヴィン・ジョーンズのソロを生で聴いたときはやはり異世界の法則が現前したかのような崇高さを感じたものだった。こうしたなんとも言葉にしがたい経験に対する理論的な説明の可能性がまた新たに一つ与えられたというだけでも大いに価値のあることだろう。

シノハラはいまのところ「テンポラリーな対象」のアイディアはフィクション論としては誤りであるかもしれない(pp. 497-8)と留保しているが,上のような可能性もあるということで,今後の議論の深まり・広がりに期待を寄せたいところである。


  1. 個人出版物に求めるのは贅沢かもしれないが,ひとつだけないものねだりをしておくと,索引が欲しかった感はある。繰り返し出てくる概念やトピックが多いだけに、索引があれば参照資料としての利用価値は大きく高まっただろうに,というのが少しだけ惜しまれるのである。Kindle版が安くなっているので,合わせて買えばテキスト検索がその穴を埋めてくれるかもしれない。
  2. この分類の中で「プロップ」が「反射的」であるかどうかが基準の一つとして用いられている(p. 381)。「反射的」は reflexive の訳に違いないが,社会学や人類学に慣れている人には「再帰的」と言ったほうが自分自身に効果を及ぼすという意味が伝わりやすいだろう。A・ギデンズの「再帰性」や「再帰的人類学 Reflexive Anthropology」などが知られているので。ほかに,語学に詳しい人なら「再帰動詞 reflexive verb」や「再帰代名詞 reflexive pronoun」が頭に浮かぶだろう。