Jablogy

Sound, Language, and Human

沼野雄司『現代音楽史:闘争しつづける芸術のゆくえ』

• 沼野雄司 2021『現代音楽史――闘争しつづける芸術のゆくえ』中公新書

 20~21世紀の芸術音楽と歴史の流れを描く書。社会状況・思想・時代精神という文脈に音楽・作曲家を位置づけて作品やパフォーマンス,事件の意味を明らかにする。ストーリーの整理がよく文体も硬すぎないので読みやすい。
 これらの点で,同じ中公新書の岡田暁生『西洋音楽史』に近いスタイルかもしれない(タイトルの形式が似ているのもその故?)。岡田本が20世紀で終わっていて現代音楽にはあまり紙幅を割けていないから相補的でもあるかも。

 また,歴史的・社会的文脈に応じて生まれてきた価値基準に照らして,著者の好みも加味しつつ,作品や演奏の分析・価値づけ=批評を行っており,鑑賞ガイドとしてもありがたい。
 特に70年代以降における芸術音楽の動向や面白そうな作品を多く紹介してくれており,現代音楽史を紹介するよい類書がほとんどなかった(p. 267)という中,私も含めてシェーンベルクやケージで現代音楽観が止まっている人のアップデートにもってこいなのではないかと思われる。

 政治や芸術の思潮を紹介し論じてくれているので,芸術音楽に関心のある向きだけでなく,ポピュラー音楽ファンにも参考になる部分が多い。
 とりわけジャズに知的な関心を抱いている層には,20世紀という同じ時代にどのような時代精神・時代の要請があったのか,それに芸術音楽がどのように答えたのかを知れるという点で,大変参考になると思われる。

 関連して,現代音楽と他芸術ジャンルのモダニズムとの関係についての記述から小さからぬ示唆を得られた。
 抽象画とモダニズム建築は「極限まで機能を突き詰めた時,美は自然に生じる」(p. 123)ものであり,ルイス・サリヴァンはそれを「形態は機能に従う」(ibid.)と表現した。これについて著者は「装飾や物語性を排し、個々の風土や環境を越えた普遍性・合理性を追求した彼らの姿勢は、セリー音楽とも共通するものだ」(ibid.)と評している。
 また,グリーンバーグのモダニズム論と照らしてもセリー音楽はモダニズムと呼べるという。グリーンバーグによれば,メディウム・スペシフィティ追求とは余計なものを剥ぎ取ってメディウムの特徴を純粋に取り出すことであり,絵画においては「平面」が残る。それを顕に示す表現主義こそモダニズムである,とグリーンバーグは位置づける(ibid.)。

とすれば、まさに機能によって形態が決定され、相互の音の関係性のみが裸で前面に露出するセリー音楽を、モダニズムの名で呼ぶことは十分に妥当だろう。(pp. 123-4)

 Christopher Butler の Modernism: A Very Short Introduction. を紹介した記事1で,菊地゠大谷が論じたモダンジャズのモダニズム性に関して斯書が持ちうるインプリケーションに言及したが,本書のこの箇所もまた関連する議論の重要な1ピースとなりそうである。

 実験的とされる試みも芸術音楽で先行しているのがしばしばであると本書を読むことでわかる。私を含むポピュラー音楽のリスナーはそうした試みについて知らない場合が多いと思われるので,そこのところも勉強になるだろう。
 現代音楽自体がポピュラー音楽へ寄っていっているところもあるそうで,それもまた興味深い。グルーヴやマイクロタイミングなどが芸術音楽の要素になったりする日も来るのだろうか(というかいままでリズムが軽んじられすぎじゃないか,などとも)。

 今回はまず通読することを優先して音源の聴取には手を出さなかったけれど,著者も言うように,昔はアクセスが困難だった現代音楽もいまでは YouTube や Naxos Music Library で聴くことができる(p. v)ので,そのうち音源を聴きながら読み返したいところである。

唐澤一友・小塚良考・堀田隆一『英語語源ハンドブック』

  • 唐澤一友・小塚良考・堀田隆一 2025『英語語源ハンドブック』研究社

 英語史ブログや動画配信でもおなじみの堀田隆一1を始めとする英語史の専門家三人が手掛けた,英語語源・英語史学習の手引き書。 〈JACET 8000〉の基礎レベル1000語を見出し語として,多くの語については印欧祖語まで遡り,もともとの語義や意味・音声の変化,派生語への分岐などを描き出している。
 この点で基礎語を扱った語源辞典とも言え,記述もわかりやすく書かれているが,説明の質は本格的でもあるので,英語史やラテン語,言語学の初歩的な知識があったほうが本書の醍醐味をよりよく味わえるだろう。

 語源辞典的な書物なので,もちろん調べたいときに引く使い方で十分役に立つのだが,個人的には〈読む語源辞典〉と捉えて通読した2ことで,たいへん得るものがあった。
 いままでつまみ食いしてきた英語史や言語学の理論・概念――音声の変化、グリムの法則、意味の一般化・特殊化、レトリック etc. ――の実例にこれでもかというほど触れることができ,それぞれの手応えを感じられたのである。
 巻末にそれら理論の簡潔にしてわかりやすい説明も付されており,随時参照することができるのもありがたい。

 特にグリムの法則での,/k/ → /x/ → /h/ → /f/ という発声器官の隣接や音質の類似に基づく音声変化とか,印欧祖語の /dh/ や /gh/ から音が脱落し /d/ または /h/ , /g/ または /h/ とスプリットして残る現象などが興味深かった。
 また,それらにより綴りは大きく異なる似た意味の単語たちが実は同じ語源だとわかることがしばしばあり,発見の快感を得られた。
 同様に,ラテン語で止まるのではなく印欧祖語まで遡ることでも意外な語源的つながりが見えてくることがあるというのも,通読したおかげでしっかり実感できた3

 また,普通の辞典の語源欄や従来の語源辞典だと、ただかつてあった意味が提示/列挙されるのみで、どうしてそういう意味になったのかは自分で考えなければいけなかったり、接辞+語幹の原義もどうしてそういう意味になるかわかりづらかったりすることがしばしばある。
 けれども本書では、順を追った意味変化の説明やメトニミーなど意味作用/意味変化の原理を示した説明がなされていることにより、なるほどそういうことかと思えた箇所が幾つもあった(ex. nice や pretty の意味発達、produce の項目の接辞+-duce)。

 さらに,本書のというより語史的に理解すること自体の利点だが,どうしてそういう意味になるのか不可解な多義語を,意味変化をひとつひとつ追うことで通時的・統一的に把握できるのは,語源学習の強みであるなと改めて感じた。Ex.「雑誌」と「弾倉」がなぜ同じ magazine なのか。run が走る/経営する/プログラムを実行する/鼻水が流れるを意味するのはどういう経緯によるのか。
 そうした変化の中には基礎語でも知らない意味・用法が結構ある(Ex. inviteの「強く求める」意)ので,まとめてチェックできるのは本書の強みである。

 総じて、お手軽に語彙数を増やすというよりは,知っている/覚えかけている単語の理解をより深くかつ立体的にし、記憶に定着させるための補助具として本書は有効なのだと思われる。
 よりちゃんとわかりたい、理屈でなぜそうなるのかを知りたい、知っておかないと気持ち悪い、という学究的な人向けともいえようか。
 決して安くはない価格帯だが,ニーズが噛み合いさえすれば,お値段以上に役立ってくれることだろう。

 ちなみに,本書の追加資料として索引がダウンロードできるようになっている4
 語彙レベルの高い語からも引けるようになってありがたいけれど、理論用語5や印欧祖語,ラテン語から検索して該当する単語をリストアップしてくれるような逆引きができるとなおよいな,とも思いついた。
 採算面で難しいという話ではあるが,やはり(研究社『英語語源辞典』と併せて)電子化が待たれるところである。


  1. hellog~英語史ブログ https://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/ ; いのほた言語学チャンネル - https://www.youtube.com/@いのほた言語学チャンネル
  2. 2025年7月3日に購入,2026年4月3日に読了したので,ちょうど9か月かかった模様。1項目が短いおかげですぐに切りがつけられるので,マンガアプリの広告表示待ちなどちょっとしたスキマ時間で読むのに好適だった。
  3. こうした「横の広がりが学べる」という特徴は,そもそもそのようにデザインされたものであるとのこと: #5897. 『英語語源辞典』と『英語語源ハンドブック』の関係 https://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2025-06-19-1.html 。読み終わり,感想を書いてからこの記事の存在を思い出し,自分の読み方で間違っていなかったことを確認できた。
  4. 『英語語源ハンドブック』追加資料(索引)のダウンロードはこちら - 研究社 https://www.kenkyusha.co.jp/news/n118227.html
  5. 「グリムの法則」とか「音位転換」とか。本書付属の解説内で該当する代表的な語は挙げてくれているけれど網羅的ではないので。

銭清弘『芸術をカテゴライズすることについて――批評とジャンルの哲学』

  • 銭清弘 2025『芸術をカテゴライズすることについて――批評とジャンルの哲学』慶應義塾大学出版会

 気鋭の若手分析美学者による批評論/ジャンル論。分析系の哲学らしく極めて明晰な文体で,批評とは鑑賞のガイドであること,鑑賞はルールの束であるジャンルという制度に基づいており,それにより客観性とダイナミズムとを持つことを論じていく。
 章・節のタイトルが端的にそこでサポートを与えようとする命題/トピックセンテンスとなっており,各章にはまとめもあるので,専門的かつ抽象的で込み入った内容ながら要約はしやすくなっている(すんなり理解できるかはまた別の話だが)。

 という事情もあって?,全体および各章の内容については先行するブログがまとめてくださっているのでそちらをご覧いただきたい:

 分析美学の著作はどれでも,社会(科)学の発想に慣れた私には方法論的/認識論的前提に馴染みにくいところがあり,本書もはじめは1ページ1行ごとに躓きながら読むことになったが,ノートを取るために各所の議論を全体における位置づけと照らしあわせながら読み返してみると,やっていることの意味がある程度掴めるように感じた。
 ほか,ウォルトン,シブリー,キヴィ,ヴァイツなど,過去の美学者の論文をどういう文脈で読むか,それらが美学史や理論においてどういう重要性を持つのかについても勉強にもなった。

 本書の美点は,とりわけ,ジャンルの生成や変化のダイナミズムを理論化していることにあるだろう。
 先行研究のレビューを戦略的に分析美学のものに限ったとのことで(p. 5),それゆえか参考文献には上がっていない1けれど,増田聡が「ジャンルの牢獄」2 で描いた,ジャンルを用いた音楽言説上のヘゲモニー争いのような人々の相互作用を十分に扱うことができる一般理論になっており,20年越しに分析美学からのアンサー/大型アップデートが来たような印象を受けた。

 特に参考になったのは「メタカテゴリー」という概念――映画・ホラー・印象派など個別の芸術カテゴリーの上位分類となるカテゴリー。たとえば様式・形式・メディウムなど――で,作品や演奏を分類するときに使われるのは,実は様式や形式など他のメタカテゴリーであるというもの。
 メタカテゴリーとしてのジャンルが著者が言うほど評価の基準として全面的に働いているのかは,すんなり飲み込めないところもある(そうでない場合もそこそこあるのではないかと思ってしまう)が,様式や形式との混同があって話がややこしくなっているケースはままあると思われるので,その腑分けができるだけでも助けになるだろう。

 ここで注意を喚起したいのは,前段落の議論では,個別な領域を指す各ジャンル名とメタカテゴリーとしてのジャンルが同じジャンル名を使って表されている場合があるのだが,それと似たかたちで,同じ言葉でまったく別な内容を表している箇所が本書にはところどころあるということである。
 たとえば,あるジャンル名が異なるメタカテゴリーを指すラベルであったり(ジャンルとして/様式としての俳句),文芸ジャンルとしての批評と本書の言う批評は別物であったり,など。そうした違いが本書にはありえるのだと意識しつつ読んだほうが理解しやすくなると思われる。

 特に,本書の言う「ジャンル」は普通に日常語として流通している「ジャンル」と重なる部分もありつつその意味や使われ方はかなり違っている。
 おそらく,学術用語として日常の言葉使いからは切り離して,理論的に人間知性におけるそのあり方を探求しているためだろう。ある意味,日常語やマスコミで言われる「不法行為」「被告」と,民法における厳密な意味でのそれら,の関係に似ているといえるかもしれない3

「メタカテゴリー」の他にも本書の議論や概念がメタ批評の理論,つまり批評を分析するための道具立てになってくれそうなところだが,本書の理論が高度に抽象的であることと,本書の理論自体の適用例はあまり書かれていない(引用されている理論や使っている概念を説明するための実例は豊富なのだけれど)ので,私を含む一般読者がすぐに応用するのはそう簡単ではないと思われる。
 著者自身が本書の理論を応用しての作品や批評の分析がなんらかの形で読めるようになることを期待したい。

 実践への関連でいえば,自分で批評する際に適切なジャンルを適用できるようになるには「さまざまな批評を読んだり、トライアルアンドエラーを重ねて書き続けるなかで、慣れるしかない」4 と筆者はウェブ用あとがきに記している。
 個人的には,諸ジャンルが形成されてきた歴史を知ること、諸作品の置かれるネットワーク、地図を心に形成すること――内なる図書館ならぬ内なる博物館、内なるディスコテーク――がひとつではないかと思われた。それには歴史書や理論書での勉強とともにまとまった量の鑑賞が必要になるだろうし,それが足りないならそれなりのコメントの仕方,限界のわきまえといった方法・倫理が求められるだろう5

 ところで,エピグラムが〈P. Funk〉のリリックなのはブラック・ミュージック好きにとっては最の高だけれど,内容とどんな関係があるのか一見して明白ではない。
 〈P. Funk〉はジャンル名を自己言及的に名乗っているグループの,さらにグループ名を冠した代表曲であり,リフレインされるその文言が「このジャンルのリアルなおいしさを損ねないでくれよ?」的なものである。しかるに,かのリリックこそ,ジャンルが求める評価基準というものが確かにあることを表す,この上なく本書にふさわしい一節である……というようなことだろうか。


  1. この点についてはシノハラユウキ氏よりご指摘をいただいた。
  2. 『聴衆をつくる――音楽批評の解体文法』青土社,2006年,pp. 53-73
  3. 日常語とテクニカルタームの意味のズレを例示:学術用語とは? 意味をやさしく解説 - サードペディア百科事典 https://pedia.3rd-in.co.jp/wiki/%E5%AD%A6%E8%A1%93%E7%94%A8%E8%AA%9E#gsc.tab=0
  4. 【特別寄稿】ウェブ用あとがき 優れた批評家になるにはどうすればいいのか?『芸術をカテゴライズすることについて』|慶應義塾大学出版会 Keio University Press https://note.com/keioup/n/nac02b2a8428b
  5. ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』大浦康介訳,筑摩書房,2008年。昔,音楽ライターさんと言い合いになってしまった件を思い出すが,当時から同様のことを言っているつもりではある。

ロバート・フィリップ『若い読者のための音楽史』

  • フィリップ,ロバート. 2024『若い読者のための音楽史』松村哲哉訳,すばる舎 [原著: Philip, Robert. 2023. A Little History of Music. 1st ed. Emily Louise Howard(illustration). New Haven, Connecticut: Yale University Press.]


 以前読んだ『若い読者のための文学史1 と同じ Yale University Press Little Histories 2 の一冊。著者は録音音楽についての博論・著作をものしたBBC放送大学のアート・プロデューサー/講師だそう。

 その背景もあってか,エリート白人男性中心の近代西洋芸術音楽を相対化する視点――階級・ジェンダー・東西交易・植民地主義ナショナリズム・資本主義/社会主義著作権・オリジナリティ・進歩主義・即興 etc. ――を大きくフィーチャーした現代的な入門書となっている。

 この意味で,いわばポスト・ニューミュージコロジー/エスノミュージコロジー/ポピュラー音楽研究の音楽史ともいえそう。

 分量的にもアジア・アフリカ・アメリカ先住民の音楽,西洋でも民俗の音楽,女性の作曲家・演奏家,ポピュラー音楽などについての記述が半分以上を占めており,本当に人類全体の〈音楽の歴史〉というにふさわしい内容であると評せよう。

 菊地・大谷の諸著作はもちろん,大和田俊之『アメリ音楽史』,高橋健太郎 『ポップミュージックのゆくえ』など,ポピュラー音楽の歴史を扱った文献には本書と近いスタンスを取ったものがすでに少なからず書かれているが,芸術音楽も扱った音楽史一般についての著作でこうした書きぶりがされているのは新鮮であり,ついにここまで来たかという感慨と喜びを覚える3

 今後はこうしたものをスタンダードに,より広くより精緻で面白い音楽史が書かれていくことを願いつつ,今は筆を置こう4


  1. https://bookmeter.com/books/16975553
  2. 本シリーズは一貫して『若い読者の~』のタイトルですばる舎から訳書が出されている模様。 https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB25728385
  3. 「若い読者」の方こそピンとこないかもしれないが,「西洋芸術音楽(の歴史)」だけをもって「音楽(史)」とすることが,ほんの数十年前まで普通にあったのだ。
  4. 編集的なことについて少し付言しておこう。一つは,参考文献の記載がないこと(原書にはあるのだろうか)。裏づけの確認や関連書への移行がやりづらいのが玉に瑕である。理論やジャンルの解説でちょっと首をひねる記述もなくはないだけに,できれば欲しいところだった。もう一つは,固有名詞索引が付されているが,贅沢を言えばテーマ・キーワードの索引の方がほしい内容かもしれない(異なる時代・地域・人々を対象に,同じ新しい視点による話をしているので)ということ。そこは自分でノートなり個人的な索引なりを作るしかないか。

マルギット・バッハフィッシャー『中世ヨーロッパ放浪芸人の文化史:しいたげられし楽師たち』

  • バッハフィッシャー,マルギット. 2006 『中世ヨーロッパ放浪芸人の文化史 ―― しいたげられし楽師たち』 森貴史・北原博・濱中春訳,明石書店 (Bachfischer, Margit. 1998. Musikanten, Gaukler und Vaganten: Spielmannskunst im Mittelalter. Augsburg: Battenberg.)


世界史の教科書にさえ載っていたりRPGにもよく出てきたりする吟遊詩人や村のお祭りを盛り上げる芸人など,民衆・世俗よりな音楽史の主人公ともいえる放浪楽師(Spielman/Spielleute)たちの諸相を描く歴史書キリスト教道徳を脅かすものとして蔑視・禁止されるなどしつつも,抗いがたい魅力から身分の上下を問わず支持され,権力者の保護を受けてもいたという両義性が興味深い1

教会行事,宮廷のダンス・食事・入浴,村の祭りや結婚式まで,生活のあらゆる領域で彼らの演奏が響いていたことにも興味を引かれる。係争相手の侮辱歌を町中に広める(p. 251)などはアフリカにも類似した事例があると耳にしたことがある2。旅・移動の能力が高いことから使節を努めたり,遠隔地の街に最新のファッション情報をもたらしたりも。はたまた,音楽による呪術的な癒やしなども行っていたそうである(西洋における音楽療法のご先祖なのかも)。

スネアドラムの起源であるテイバー(本訳書では単に太鼓と訳されているらしい?)などの太鼓にもちらほら言及があった。テイバーに限らずどのドラムも可搬性が高く作られているのは,上のような実に多岐にわたる機会・場所へ,さっと行ってすぐ演奏できなければならないからだろうか。遊牧民と同じく,旅ぐらしだから荷物は最小限にするというのもありそう。太鼓に限らずどの楽器も立奏用なのはやはりそういう都合かしら。


  1. 塚田健一によれば,西アフリカのグリオやエチオピアの流浪音楽家などもアウトサイダー的な存在であり,「西洋中世のジョングルールなどのほぼこれと似たものだったのだろう」という。また塚田自身,ガーナの宮廷楽師に師事してともにイベントへ参加した際,師匠もろとも身分卑しいもの扱いされた経験を記している。[塚田健一『アフリカの音の世界』新書館,2000年,pp.193-201]
  2. たとえば川田順造「12 ほめる声、おびやかす声」『聲』筑摩書房,1992 [1988]年。

シノハラユウキ『物語の外の虚構へ』

【書誌情報】
シノハラユウキ 2021 『物語の外の虚構へ』 logical cypher books 02,個人出版

概観

分析美学/哲学,特に描写の哲学とフィクション論をオタク系ポップカルチャーの批評へ応用する試みを続けている著者が,10年以上にわたり各所に書き続けた論考をまとめた個人出版1

文章の量も議論の濃さもなかなかのものなので,読むにも感想を書くにも時間がかかってしまったが,ようやくここにアップロードすることができた。

本書の議論の特色は,一貫して著者自身がこれはよい,すごい,不思議だと感じた表現・現象を説明するために理論を用いる点にある(もっといえば本書に限らず著者はそうした姿勢を貫いている)。単に難しいことをいうためではない真剣でまっとうな理論の使い方だと評することができるだろう。

トピック/議論の対象としては,普通に物語として提示されるフィクションからははみ出るような周縁的な現象・事象を取り上げている。

そうした事象としては,たとえば,アニメOPやマンガにおいて描かれる独特の虚構性をもったオブジェクトや装飾,アニメの物語世界内で実際に起っているとは考えられないが画面に描かれ私達が目にする印象的かつ象徴的なシーン,声優ライブにおいてキャストが演じるキャラクター本人に見える現象,などが挙げられる。

このような領域にこそむしろメディア横断が常態となった現代のIP・コンテンツ表現において重要な想像力使用の構造があるのだといえよう。

理論的な貢献

本書でも軽く触れられているように分析美学の批評への応用自体があまり盛んではないわけだが,本書は単に批評理論として応用するだけでなく,理論を批判的に継承・更新しようという姿勢も備えている。目についたところで,

  • 「声のキメラ」概念の更新と「ダンスの遊具」への拡張
  • 「マンガのおばけ」概念を洗練
  • 「想像的オブジェクト」により想像のヴィヴィッドさが増大することを論じる
  • 2.5次元とはいかなるメイクビリーヴか」においてウォルトンのメイクビリーヴ論を拡張。想像の種類を区分2し,コンテンツツーリズムにおける想像形式などを精緻に説明する

などがあげられようか。

独自の理論としては,「テンポラリーな対象・空間」「分離された虚構世界」概念を立てることにより,マンガ・アニメでよく見られるが言語化しようとするといわく言い難い(ともすればメタ的とか自己言及的と言いたくなるような)虚構表現を明快に説明づけている。

身近なポップカルチャーに不思議な現象を見い出し、それを理論的に説明づける楽しみはよい研究や批評の醍醐味であろうし,個人的には2000年代に東浩紀増田聡を初めて読んだ時の感興を思い出すような心持ちであった。

読者としても,分離された虚構世界のアイディアは,虚実の境が分かりにくい作品でどこからどこまでが作品内世界の出来事か記述する際などに参考にできそうだし,「2.5次元とはいかなるメイクビリーヴか」の想像の分類・見取り図は,著者自身あとがきで述べているように(p. 528),作品から現実側へ拡大されたフィクションを論じる上でツールとして利用しやすいだろうと思われる。

構成のよさ

収録作が書かれ始めた少し後くらいから批評仲間のひとりとしてお世話になり,著作も追っていたので,本書収録の論文には既読のものも少なくなかった。

氏と交流し論議を深める中で曲がりなりに分析系の議論をかじってきたおかげで,いまではより深く理解できるようになっていたということもあるが,それだけでなく,昔読んだ論もいまこうしてまとめられた一つの文脈で読むと,その位置付け,やっていること,意義などがわかりやすくなるように感じられた。

おおむね時系列に則りつつの配列だが一部そうではないものもあり,あとから書かれた論文で乗り越えられたり修正されたりもしているので,初めて触れる方はそのつもりで慌てずひっかかりすぎず読むのがよいだろう。

音楽とフィクション論を結ぶことの可能性

書かれたのは収録作の中では初期のものでありながら最後の部に置かれた音楽論は、ただの付け足しではなく、当初から通底・継続する関心・動機の提示と、それゆえの今後の議論や応用の可能性を示している

特に「~Go-qualia 試論」は,初読の時点ではその趣旨を十分に理解できていなかったが,本書を通読した最後に読むことで,ある種の崇高を感じさせる音楽体験をフィクション論の視点から論じようとしたものであることがありありと理解できた。

異世界の音を聴いている」という体験を引き起こしたライブ中の轟音を「描写対象なき聴覚的な描写」(p. 495),「テンポラリーな対象の描写による異世界の音の知覚という体験では」(p. 497)と位置づけるアイディアは,当ブログでも何度か引き合いに出しているエクスタティックな宗教儀礼――それこそ異世界とのコミュニケーションとされる――における音楽の役割・効果をフィクション論から考えることもできる可能性を示唆しており,個人的に興味深く感じている。

音楽がデモーニッシュな性質をもつゆえんは,聴覚が原始的な領域と結びついていることからくる感情を揺さぶる効果が大きなところを占めるだろうとは思われるが,音量の大きさ・強さであったり,倍音などの構造が整然とした自然法則に則っていたりすることなどが,言表不可能な「崇高ななにか」「形而上的ななにか」を描写しているように知覚されるという側面もあるのでは,などと想像がかき立てられる。

標題音楽絶対音楽の対比に代表されるように,歌詞のない器楽もなんらかの描写になり得ること,そのときどういう描写であるのか,あるいはなんの描写にもならないのはどんな条件によるのか,などは音楽美学としても重要なテーマであるはずだ。

本論ではあまりの重低音で「時空歪んでる」と言っていたツイートが紹介されているが(p. 501),個人的にはチャンギートのような強烈なポリリズムを聴くと時空間が捻れているかのように感じるし,エルヴィン・ジョーンズのソロを生で聴いたときはやはり異世界の法則が現前したかのような崇高さを感じたものだった。こうしたなんとも言葉にしがたい経験に対する理論的な説明の可能性がまた新たに一つ与えられたというだけでも大いに価値のあることだろう。

シノハラはいまのところ「テンポラリーな対象」のアイディアはフィクション論としては誤りであるかもしれない(pp. 497-8)と留保しているが,上のような可能性もあるということで,今後の議論の深まり・広がりに期待を寄せたいところである。


  1. 個人出版物に求めるのは贅沢かもしれないが,ひとつだけないものねだりをしておくと,索引が欲しかった感はある。繰り返し出てくる概念やトピックが多いだけに、索引があれば参照資料としての利用価値は大きく高まっただろうに,というのが少しだけ惜しまれるのである。Kindle版が安くなっているので,合わせて買えばテキスト検索がその穴を埋めてくれるかもしれない。
  2. この分類の中で「プロップ」が「反射的」であるかどうかが基準の一つとして用いられている(p. 381)。「反射的」は reflexive の訳に違いないが,社会学や人類学に慣れている人には「再帰的」と言ったほうが自分自身に効果を及ぼすという意味が伝わりやすいだろう。A・ギデンズの「再帰性」や「再帰的人類学 Reflexive Anthropology」などが知られているので。ほかに,語学に詳しい人なら「再帰動詞 reflexive verb」や「再帰代名詞 reflexive pronoun」が頭に浮かぶだろう。

Christopher Butler, Modernism: A Very Short Introduction.

【書誌情報】
Butler, Christopher. Modernism: A Very Short Introduction. Oxford: Oxford University Press, 2010.

定評ある入門書シリーズの一冊。文学・絵画・音楽など1909-39時期の芸術一般に見られた潮流としてモダニズムを位置づける。

この意味での用法は知恵蔵の解説1が簡潔にして要を得ていると思われるが,そうした斯概念の輪郭がわかるようになったのも本書を読んだおかげである。

まず『文化の窮状』2で論じられていた「民族誌シュールレアリスム」的な思潮はシュールレアリスムにかぎらずモダニズム全体にあった傾向なのだと改めて認識した。ジャズがあらゆる民族音楽を吸収していくのはそういう文脈でもあるのかもしれない。

進歩を示すには過去との差異が見える必要があり,モダニスト作品はアルージョン(引喩)やパロディによってそれを形成しているという(p. 9,15)。

もしやジャズのアドリブで引用が好まれるのも,一部はモダニズムからの影響があったりするのだろうか。エラ・フィッツジェラルドが,ブレヒトの『三文芝居』からの楽曲〈Mack the Knife〉をベルリンライブで歌ったときに,ルイ・アームストロングのものまねで観客を湧かせた例など,まんまその文脈に見えてしまう。

テクノロジーや形式論理への傾きについても有益な情報を得られた。

ヘーゲルマルクス的な歴史の進歩を至上とし,社会解放へ向かう意識の本質が哲学・理論・技術的な言語によって明らかにされ始めていると考えるユートピアンな伝統に立つ芸術家たち(デ・ステイルバウハウスシェーンベルクなど)は,通常の言語を浄化してより論理的・科学的にしようとする哲学者を好んだ(p. 91)とのこと。

『フィルカル』編集長の長田怜氏によれば,バウハウスにはカルナップが講演に行ったこともあるらしい3

そうした記号・形式論理重視の傾向と相同なものをビバップにおけるコードシンボル使用,和音の細分化などに見出し,ジャズを「一番最後に来た『モダニズム』」と捉えたのが菊地・大谷の東大講義4なのだった。

そもそも私がこの Modernism: A Very Short Introduction. を手に取ったのも彼らの立論に興味があったからだが,読み終わった今振り返ると,本当にモダニズムというものがテーマな講義・著作だったのだと実感される。

菊地・大谷は主に和声の面からジャズのモダニズム性を論じたわけだが,個人的には,拍を数学的にグルーピングしたり,セットのパーツ間を機械的に移動したりする,マックス・ローチ幾何学的なドラミングスタイルこそ,そうした論理性・テクノロジーと通底するものがあるように思えている。いつか詳しく論じてみたい(という気持ちだけはある)。


  1. 井上健モダニズム(もだにずむ)とは?」2007年,コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0-142437
  2. Clifford, James. The Predicament of Culture: Twentieth-century Ethnography, Literature, and Art. Cambridge: Harvard University Press, 1988. (ジェイムス・クリフォード 『文化の窮状――二十世紀の民族誌,文学,芸術』太田好信ほか訳,人文書院,2003年)
  3. 分析哲学」の使命は”論理の明晰化”にあり – 『フィルカル』編集長・長田怜氏 | academist Journal https://academist-cf.com/journal/?p=10930 。ほか,ウィトゲンシュタインが設計した建築がいかにもモダニズム建築といった様式であるそうな。
  4. 菊地成孔大谷能生東京大学アルバート・アイラー――東大ジャズ講義録・歴史編』メディア総合研究所,2005年,p. 58。