Jablogy

Sound, Language, and Human

『ポストモダンの条件』「変貌するゴスペル・ミュージシャンシップ」「マスク・マイ・ヴォイス」『DAIM Pilot』

最近読んだものに簡単なコメントを。

ポストモダンの条件』

ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))

ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))

動物化するポストモダン』なんかで有名な「大きな物語」概念を確認するべく読んでみました。

大塚-東ラインから理解されているような、共通了解がなくなって島宇宙化するという論は中心ではなく(それらしいこともすこし言ってるけど [p. 42-3])、科学を正当化するものとしての説話的な価値説明=近代の物語(大きな物語)に対する疑問が生じてくる時期がポストモダンであるとしています。

簡単に言うと一般民衆の認識とか島宇宙化などよりも、科学哲学とか知識社会学っぽい問題で、ゲーデル不完全性定理量子力学などの科学・知がかかえる限界の問題、ソーカル事件フーコーの真理と権力論のような知という制度の問題などに文脈的には近い議論といえそうです。

「変貌するゴスペル・ミュージシャンシップ ―― 主流教会とペンテコステ派教会間の相互関係から」

『ミュージッキング』の訳者でもある文化人類学者・野澤豊一のアメリカでのフィールドワークをもとにした論文。『ミュージッキング』の訳が素晴らしく読みやすいのでどういう人なのだろうと思っていたのですが、この論文の著者と知ってさもありなんと納得しました。

内容は、近年参加者の減少に悩まされている主流教会が若者を呼びこむためにゴスペルミュージックを導入するためにペンコステ派教会で活動していたミュージシャンを雇うようになっているというテーマ。

主流教会は中流層が多いのでノリが上品で受け身だったり、ギャラがあがってフルタイムのミュージシャンで食べていけるようになったりなどしている模様です。そのあたりの事情を現地の人の語り方いきいきと描いていてとても楽しくかつ勉強になる論文でした。

「マスク・マイ・ヴォイス〜仮装する声、越境する身体」

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  • 国分純平「マスク・マイ・ヴォイス〜仮装する声、越境する身体」 高橋健太郎編 『ERIS』、eris-media、第一号の第一回は2012年、第二回から五回のそれぞれ第二号から五号は2013年。

電子的に加工された声を使った音楽に関する評論で、『ポップミュージックのゆくえ』の著者である高橋健太郎が編集を務めるフリーの電子書籍による音楽雑誌『ERIS』に収録。

おそらく大和田俊之『アメリカ音楽史』を参考に、「声の仮面」を装着することすなわち声を機械的に加工することによって他者に〈擬装〉することをテーマにヴォコーダーからAuto-Tune、ボカロなどを語っています。とても示唆に富んだ連載なのでボカロと声に関心ある人にはおすすめ。『ERIS』第五号には『THE END』に関連して渋谷慶一郎と高橋健太郎の対談も載ってます。

『DAIM』pilot

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  • しま et al. 編著 2013 『DAIM』 Pilot、DAIM

ネットの音楽をレビュー するサイトDAIMの冊子・同人誌版の第一冊目。

テーマを決めたクロスレビュー、アルバムレビュー、仮想コンピなどいろいろ企画があって楽しいです。なかでもアンメルツPのBMS概論はしっかりまとまっていて、ボカロ前史のひとつを理解でき助かりました。

NaOHさんのポップレクイエム論ではポップス一般で死が歌われにくいというようになっていましたが、むしろ主流のJ-POPの作り手が、不況のため広告主に遠慮するようになり、無難な表現をするようになったためではないかと思いました*1

ちょっとした思いつき: 私がやってるレビューもそうなのですが、だいたい褒めるばかりになってるのでたまにはディベート形式のレヴューとかどうだろう。あらかじめ肯定派・否定派にルールで分けてしまえばそういうものなのねと受け入れてもらいやすくなるかも……?ということなんですが。そういえば似たようなことを菊地成孔がタワレコの連載「菊地成孔のチアー&ジャッジ」でやってましたね。

このような同人誌版DAIMですが、今度の冬コミで頒布される第二号には私もすこし参加してますので、冬コミ参加される方はどうかよろしくお願いいたします。

*1:cf. 烏賀陽弘道 2005 『Jポップとは何か ―― 巨大化する音楽産業』 岩波新書