- 作者:井上裕章
- 発売日: 2019/11/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
医師にしてアマチュア・ジャズピアニストの著者が,40~60年代のモダンジャズにおける名プレイヤーたちの演奏を波形的に分析。発音タイミングの微細なズレを描き出し,各プレイヤーがもつ癖や個人ごとの差異,さらには系譜的な影響関係までをも,統計学の手法をつかって明らかにしている。プレイヤーとしてもっとも気になる事象で,分析する手段は存在しながら,なかなか正面から扱われることのなかった分野にようやく優れた著作があらわれたといえよう。
コールマン・ホーキンスらスウィングの人たちは頭ジャスト裏3連符ちょうどくらいのリジッドなタイミングでプレイ,レスター・ヤングやチャーリー・クリスチャンらのビバップへの過渡期の奏者からバップのチャーリー・パーカー,クール時代のマイルスへとどんどんレイドバックが深くなる,といった具合に,様式ごとにタイミングのとり方が違うという事実が数字ではっきりと示されているのは大きな功績だと思われる。
レスター・ヤングの影響を受けたチャーリー・クリスチャン,それを真似た後続のジャズギタリストたちがほぼ同じズレを持っているというのも非常に興味深い(p. 96)。
レイ・ブラウンのベースがオントップでグイグイ引っ張るようにプレイするのは耳で聴いてわかっていたけれど,これも改めて数字ではっきり可視化されると,やはりなという感慨が深い(pp. 154-6)。(ポール・チェンバースがライドに対してちょうどか少し遅いくらい,スコット・ラファロは大きくビハインドで弾く,などは言われてみて初めて理解できた。)
ドラマーのライドパターンも個人的な経験上うすうす感じていたとおり,2・4拍目が前に出て,結果拍の長さが1・3拍よりも長くなるようだ。これはおそらく,ライドパターンにおけるスティックのモーションが,2・4拍目からドロップして1・3拍目でキャッチする3連打の動きになることと関係するのではないかと思われるがどうだろうか。
均等派とされるシェリー・マンは4拍全てで腕をダウンさせスキップ・ビートのみ手首のスナップを効かせる奏法を用いているようで,ピーター・アースキンもおそらくそれに該当する奏法を紹介している1。アースキンの解説でも四分音符の均等さが言われているし,動き上も必然的にそうなりやすいといえるだろう。
ただ,クインシー・デイビスによればこの奏法はケニー・クラークに由来するものだそう2。とすると本書ではケニー・クラークは2・4拍が長くなったことの元祖ではとされているが,実はどちらかというと均等よりなのかもしれない(実際ばらつき方はアート・ブレイキーのそれなどとは少し異なるようにも見える)。動きは均等寄りで歌い方は2・4拍が長いとかもありえるし,要検証だけれど。
ともあれ,一番難しいのはどこが基準になって前なのか後ろなのかということであろう。フロントについてはベースを基準にすることでそこからのズレは明確化できている。しかし,著者自身苦心しているように(pp. 145-9),ドラマー自身がライド,フット・ハイハット,あるいは内面のカウントのどこを基準にしているかわからないし,ベーシストも同様。そして各プレイヤーが周囲のなにを聴いて,それを基準となるパルスないしジャストのタイミングであると感じているかもまた別問題である。さらには聴衆側がそうして行われた演奏の全体を聴いてどこが基準となるパルスないしジャストのタイミングと感じるのかも。
ここまでくると心理学を超えて現象学まで踏み込んでくる感じになると思われ,研究方法をデザインするのも容易ではなさそうであるが,これもプレイヤーとしては一番気になるトピックなので,今後の研究の進展に期待したいところである。
(著者の研究自体がフリーソフトの Audacity を使って行われているようなので,自分でも真似してやればいい話ではあるが。)
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Peter Erskine - Ride Cymbal Technique Part 1 - YouTube - https://www.youtube.com/watch?v=fYSFMeT4LxU↩
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Jazz Drummer Q-Tip of the Week: Ride Cymbal Feel! - YouTube - https://www.youtube.com/watch?v=fZLVtlt5s_A↩