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Jablogy

Sound, Language, and Human

Voca brasileira 『Re-fuga』 ライナーノーツ公開

同人音楽即売会M3-2012秋にて頒布された、サークルVoca brasileiraのアルバム『Re-fuga』に私 ja_bra_af_cu がライナーノーツを寄せていました。

近く、2013年4月29日(月・祝)に行われるM3でもこの『Re-fuga』の再頒布と小品の新作が発表になるということで、この機会にライナーノーツを公開しようという運びになりました。

Voca brasileiraの詳しい頒布情報は http://dejaneiroo.net/vocabra/ を御覧ください(今週末には新情報に更新されるはずです)。

私のライナーノーツ、少々文体が堅いかもしれませんが、VocaloidやUTAUを使ってブラジル音楽やラテン系音楽を創り表現するということについて、力を入れて書きました。お読みいただいてVoca brasileiraの作品にすこしでも関心を持っていただけたら幸いです。

人と機械のマリアージュ――音声合成音楽とラテン系音楽

 本CDを手に取られた方には言うまでもないことかもしれないが、Voca brasilairaとはVocaloidに代表される音声合成音楽とブラジリアンを中心としたラテン系音楽のフュージョン・コラボレーションを追求した企画・サークルである。彼らは代表の被災という逆境にも屈せず「M3-2011春」「THE VOC@LOiD M@STER 16」「M3-2011秋」という三つの同人音楽即売会でそれぞれ一枚ずつ新作CDを発表し、意欲的に活動している。

 彼らが行っているような二つの異なる物事の融合は、時として結婚になぞらえられる。フランス語などでは結婚をマリアージュといい、慣用的に料理とワインの相性を示すことなどに転用されている。この概念は近年ジャズミュージシャンにして批評家の菊地成孔大谷能生らにより、映像と音楽との相性を指し示すものとして用いられた(『アフロ・ディズニー』文藝春秋、2009年)。Vocaloidに代表される音声合成音楽とブラジリアン系のラテン音楽という、ともすれば既存の音楽知識からみて相性がよくないと判断されそうな二つの音楽領域は、果たして幸福な結婚生活を送れるのだろうか?

 私見では可能である。というより、実はこの二つはその基本的な性質において相性がいいのだ。

 第一にこれらの音楽は演奏面における正確性が高い。サンバのリズムは独特の訛りをもっていて本能的にリズムを習得した現地人にしか本当のニュアンスを出せないなどと言われたりすることもあるが、ボサノバやサルサなどはむしろ正確で端正なビートに適切な音型のフレーズと強弱を与えることでそのニュアンスをかなり再現できる。例えばiPhoneアプリ「iReal b」などのコンピューターによる自動伴奏が生み出す高いクオリティがまさにそれを示しているといえるだろう。また私の友人のひとりは、パンデイロ奏者マルコス・スザーノのライヴでのプレイを一瞬打ち込みと勘違いした、と話していた。それほどにラテン系音楽家の生演奏は正確性が高いのである。

 音色という面からみても問題は少ない。キューバのトップグループ、Los Van Vanは早くからシンセを取り入れているし、現代のキューバ音楽のグループでもキーボードは電子ピアノが用いられることが多い。

 歌に関してもDTM・音声合成とブラジリアンの相性は悪くない。特にボサノバにおけるウィスパーやあまり張り上げない感じの声は音声合成の得意とするところである。早口があまり得意でないという合成器の特徴や声フェチのファンが多いこととも相まって、UTAU界隈ではクールだったり穏やかだったりする曲調が好まれる傾向にあり、その点もボサノバと相性がよいと言えよう。

 興味深いのは、合成音声が聞こえた時点で、その歌世界が現実世界の生身の人間による音楽とは「次元が異なる」ものである、すなわちアニメやマンガのように「この世とは異なる物語世界における事実・真実」であることが強く示唆される点である。言い換えると、マンガやアニメをみて、それがフィクションの中の事柄であると了承しつつ人物の行為や物事のありさまに真実味を感じるときの感覚と、Voca brasilaira(を含む音声合成音楽)を聴いたときの感覚が似ているのだ。

 その理由のひとつには声の形式化がある。アニメやゲームにおける、いわゆる「アニメ声」とよばれる声優の演技は、音程の上下幅が広かったり「キャラを作」ったりすることによってかなりの程度形式化されている。こうした日常言語との差異を明確にする形式化によって、日常世界と異なる虚構世界が成立させられるのであろう。同様に音声合成の歌も、それとはっきり知覚される、日常言語との差異のある歌声が聞こえることによって――特定のキャラクターの歌声であることが示唆されるとともに――フィクショナルな歌世界であることが認識されるのである。

 Voca brasilairaでは音色の調整もこの虚構世界の成立を助けている。いまいゆ氏によるマスタリングはブラジル的な透明感がありつつ、幅広いスタイルを統合していて、アニメ・ゲームにおけるBGMの統一感と似たものを感じさせる。同時に、DTMによる制作であることもあり、音色やフレージングの生々しさが抑えられているのも虚構的である。同様の現象がプリキュアのエンディング曲に見られる。つまり、よく聴くとかなり本格的なディスコやファンクの要素を用いているにもかかわらず、音色が過剰に生々しくならないようコントロールされていることによりアニソンらしくなっているのである。これはいわば、京都アニメーションスタジオジブリが描くような、極めてフォトリアリスティックでありながらしっかりとアニメ調に描き直された背景美術のようなもの、とでもいえるだろう。アフリカ由来のポリリズムという共通の要素をもった各地のラテンアメリカ音楽のフィーリングやイディオムをしっかりと把握し再構成する彼らの“筆使い”やそこから聴こえる歴史的文脈の厚みも、京アニ的な緻密な描き込みを思わせる。逆に、生楽器系の音色がチープ過ぎたりフレーズの揺れが人間的すぎたりすると、虚構の歌世界が揺らぐような感覚に襲われることも(Voca brasilairaではごくわずかだが)ある。この感覚はアニメにおいて作画がおかしくなったり突然実写が出てきたりするときの戸惑いに近い。

 このようにフィクション的であることによって「楽曲も縛りは緩やか、生粋ブラジル音楽には執着せず、salsa、afro cuban風club jazz、フレンチ・ボッサ、日本のラテン歌謡、etcを許容しつつ楽しんでいきたい」(http://dejaneiroo.net/vocabra/) という彼らのコンセプトが実際的なものになっている、ともいえそうである。現実の音楽家によるパフォーマンスと違い、自己イメージと音楽性を結び付けなくて済むし、身体的にマスターした技術やセンスが絶対というものでもなくなる。すなわち、キャラクターを中心とした歌世界を「プロデュース」するセンスと技術が価値の中心となるのである。いってしまえば、虚構であることが前提であるが故に、「本物でなくちゃいけない」というような狭量な文化観から自由なのだ。

 こうしたあり方は必ずしも彼らがオリジナルではないかもしれない。アイドルやビジュアル系などのように、フィクショナルな感覚を持った音楽はJ-POPにもそれ以前からもずっとあったし、近年ではPerfumeが特にそうした雰囲気を持っている。しかしVoca brasilairaは、宮沢和史やクラブ・ジャズといった様々なラテン音楽のジャンルを併存・融合するスタイルの先達が成し得なかった、自己イメージから自由な音楽性というものを、歌う主体を明確に虚構化することによって――いわばマンガ・アニメ的文脈をラテン音楽に取り込むことで――かなりの程度獲得できている、といえるのではないだろうか。

 このように、音声合成音楽とラテン系音楽という相性のよい二人は、Voca brasilairaという優れた仲人を得て幸福な結婚を果たした。時には夫婦げんかをすることもあるだろうが、Voca brasilairaのプロデュースのもと豊かな未来を切り開くに違いない。あたたかく今後を見守りたいものである。


ja_bra_af_cu /dʒəbræˈfkjuː/