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Jablogy

Sound, Language, and Human

デイヴ・トンプキンズ 『エレクトロ・ヴォイス』

エレクトロ・ヴォイス 変声楽器ヴォコーダー/トークボックスの文化史 (P-Vine Books)

エレクトロ・ヴォイス 変声楽器ヴォコーダー/トークボックスの文化史 (P-Vine Books)

本書が描くのは電子的・電気的な変声機器の歴史である。特にテクノ・ポップやヒップホップで使われたヴォコーダーが実は軍事機密を連絡する目的で使われていたということを紹介した点で高く評価されているらしい。

歴史といっても逸話の羅列で構成されていて、クリティカルな論点は明示的には書かれていない。日本版制作担当のあとがきでもなぜロボ声を求めるのかについての説明は避けられているようだと評されている(p. 301)。

このため、要約して批判的に検討することができないので、いくつか興味を惹かれるエピソードを拾ってみることにする。

声と人格

まず、やはり人格の変化にかかわるものとして電子変声を捉えている人・ケースがそれなりに多いということが見て取れた。

トンプキンズ自身は次のようにまとめている。

自分以外の何かになりたいと思うことほど人間的なものはない。子供が退屈しのぎに扇風機に向かって声を発して、あるいは風船のヘリウムガスを興味本位に吸い込んで、あるいはゲップで母親にありがとうと伝えようと思い立って以来、声の変異は興奮の底なし沼だった(p. 12)

マイアミでは複数アイデンティティを持つことがよしとされ、「エイモス・ラーキンは少なくとも10の変名で、クリシュナ教団が営むウェストパームのモーテル・スタジオで、ビージーズが使わなかったヴォコーダーを駆使してレコーディングを繰り返した」(p. 91)。

スミソニアン・フォークウェイズのLP『Speech After the Removal of the Larynx(咽頭切除後の音声)」では「患者はバズ声と引き換えに「人格を失う」のが不安だった」(p. 117)。

ピーター・フランプトンはトークボックスを使い、「その人の声を自分のものに」した。

マイク・スプリッタでPAから出したその人の声をアンプに通して、トーク・ボックスを介して私のロで鳴らす。その人の歌声を好きにいじれる、声に声を足せるんだ。(p. 124)

ゼンハイザー社のコンサルタント、カイ・クラウスは「誰でもすぐロボットになれる」と称してヴォコーダーを売り込んだ。

ヴォコーダーがあれば、(訳注:人気子供番組のホスト)ミスター・ロジャースもスティーヴィー・ワンダーになれます』信じられないくらいのしゃがれ声だって出せますよ」。(p. 233)

ニール・ヤングはアルバム『トランス』において、脳性麻痺のため息子と会話できないことの苦悩をリスナーにも感じてもらうために、言語が不明瞭になり何を言っているかわからなくなるヴォコーダーをあえて使用した。が、その意図はファンにも所属レーベルのゲフィン・レコードにも理解されず、「彼自身でなかった、という理由で」ゲフィンから訴えられてしまった(p. 237-8)。

ローリー・アンダーソンはトンプキンズのインタビューに答えて次のように語った。

ヴォコーダーを使うと、少しだけ自分じゃなくなれるから、そこがいい。フランスの道化芝居みたいな。住み込みの家庭教師にも、イカレた叔母さんにもなれる。いつも自分でいなくてもいい。(いつも自分でいるのは)すごく疲れるでしょ」(p. 250)

これだけの例が見られることからして、欧米でも特定の声に特定の人格を対応させ、声が変化すれば同時に人格も変化したと解釈する思考パターンが存在すると言えそうである。

アニメ・ゲームとの関わり

本書を読んでいるのはボカロを始めとした合成音声音楽への関心からであり、それらはアニメ・ゲームとも関わりの深いものであるが、ヴォコーダーの時代からすでに機械音声音楽はアニメ・ゲームへ視線を向けていた。

そもそもベル研究所の物理学者でヴォコーダーの発明者、ホーマー・ダドリーからして「マンハッタンで開かれたアメリカ音響学会の席上」で「ヴォコーダーがアニメの音声に使えると訴え」ている(p. 39、情報の出典不明)。

また、80年代にマイアミ発でヒットしたマイケル・ジョンズンの「パック・ジャム(ルック・アウト・フォー・ザ・OVC)」はナムコのゲームパックマンをモチーフにしたものであるとのことだ。(p. 90, 103-5)

特徴ある声がキャラクターを形成すること(合成音声以前もドナルドダックはヘリウムを吸って声を変えることで演じられている)、機械音声というのが未来の機械文明を想像させるのでコンピュータ・ゲームと相性がいい、というあたりがこうしたアニメ・ゲームとの関係の理由だろうか。

非人間の声

人工知能、動物、神的な存在など人ならざるものの声を機械音声があらわすというケースもやはり早くから見られる。

2001年宇宙の旅』のHALの声に使われたのはエルトロ(Eltro)というエフェクト機材である。脚本のアーサー・C・クラークは1962年にベル研究所でIBM7094が「デイジー・ベル」を歌うのを聴いている(p. 151)。

ドイツ、ボン大学音声学科主任メイヤー・エブラーは1949年に行った講義で動物の鳴き声をエレクトロ・ラリンクスに通してドイツ語を喋らせ、「『ホムンクルスまたはロボットのような』音声」であると形容している(p. 186)。

H.P.ラヴクラフトの1931年の小説『闇に囁くもの』にも機械音声と非人間の声が登場する。

〔登場人物のヘンリー・〕エイクリーは「機械的発声機」を用いて、言葉を発しないコウモリ+イカ的生物と言葉を交わし、人間の脳の移送を手助けする。「新鮮{フレッシュ}な容器」に入れられた脳は、移動の間も知覚可能な状態を保たれ、素敵な夢を見る。脳は異世界の脳と会話をする。ラヴクラフトいわく、金属的で、無生命、無抑揚・無表情で、甲高く非人間的に正確な、一度聞いたら二度と忘れられない声で。(p. 253)

1975年に発表されたクラフトワークの『放射能』では当時の核支持を揶揄するテーマを表現するため、音声合成装置「ヴォトラックス・オーディオ・レスポンス・システム」が採用された。トンプキンズは核戦争後の荒廃をそのサウンドに聞き取っており、フローリアン・シュナイダーによれば「『あの感じを出したかった』〔……〕『非人間性を』」とのことである。(pp. 176-7)

トンプキンズも人工喉頭の開発にヴィリエ・ド・リラダン未来のイヴ』の影響があったのかもしれにないと推測しているが(p. 115-6)、やはり『機械仕掛けの歌姫』*1で論じられているようなロマン主義文学がこれらの想像力の直接の先祖ということになるだろうか。

超自然的なものの声という意味では、特にキリスト教世界ではもともとあった神の呼び声*2が声を人間外のものと結びつける想像力の土台になっているのかもしれないという気もする。

この辺りを論じている書物は思いつかないが……方向は違うだろうけれどデリダの『グラマトロジー』や『声と現象』はとりあえず読まなければならないところだろうか。あとはオング『声の文化と文字の文化』とか。

*1:Miller Frank, Felicia. 1995 The Mechanical Song : Women, Voice, and the Artificial in Nineteenth-Century French Narrative. Stanford, Calif. : Stanford University Press. (ミラー・フランク、フェリシア 2010 『機械仕掛けの歌姫 ―― 19世紀フランスにおける女性・声・人造性』 大串尚代訳、東洋書林

*2:召命 - http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AC%E5%91%BD