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Jablogy

Sound, Language, and Human

大和田俊之 2011 『アメリカ音楽史──ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』 講談社選書メチエ (3)

music study book

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■本書をうけての考察

*マーチング

 白人と黒人の関係で言えば、私の関心からはまずマーチングや drum corps のことが思い浮かびます。ジャズドラム史またロック史においても、著名なドラマーの多くは黒人白人を問わずマーチングバンド出身です。マーチングバンド出身でなくともマーチングの基礎技術(ルーディメンツ)を学んでいないものはほぼいません。

 例えば、マックス・ローチスティーブ・ガッドも「ルーディメンツ」を応用することでドラムセットの演奏に革新をもたらしました。グレイトフル・デッドミッキー・ハートカーペンターズのカレンは学校のマーチングバンド部出身です。

 このように重要なマーチングドラムですが、一般的にはカントリーと同様に保守的な白人の音楽であり、学校などの公的な場で演奏する価値があるものだというイメージが強いように思われます。(それゆえに、ドラマ『フルハウス』では真面目で堅苦しくダサいやつが演奏する古臭い音楽というステレオタイプな演出がされていました)Youtubeで動画を見てもプレイヤーのほとんどが白人系であるようです。

 ジャズドラムにおいても、著名なドラム教育者のビリー・グラッドストーン(Billy Gladstone)はジョー・モレロ、バディ・リッチ、シェリー・マンにスネアドラム・テクニックを教えましたが、彼らはいずれも白人ドラマーでした*1。この事実にも人種的な機微が背後にあるように思えてしまいます。

 こうしたイメージのマーチングやルーディメンツを黒人たちはどこでどう学び演奏していったのか。ドラム演奏の「学習行動」を考える上で興味深いです。

*人種的他者の音楽をプレイすること

 それから神舘和典が『音楽ライターが、書けなかった話』で提起している、ジャズやブルースにおける「黒人にあこがれる白人」*2の問題もあります。

 神舘は、黒人が本質的にその演奏する能力やフィーリングを持つとされるブルースという音楽に、あこがれを持ちプレイすることになったエリック・クラプトンの話を紹介しています。スイング・ジャズの時代には、ビックス・バイダーベックが黒人のプレイに憧れました。しかし、人種的な理由から共演を反対され、彼は黒人と共演する機会を得られませんでした。

 このように本質主義的な言説が支配的だった時代において、自分のエスニシティにそぐわない音楽をプレイした人々の努力やあきらめがいかなるものだったのか。これもアメリカ音楽を知るうえで大切なテーマだと思います。*3

*ジャンル同士の相互関係 ―― 影響と浸透とミュージシャン

 本書ですこし残念だったのは、ジャンルごとに章立てされていて、各ジャンルごとの相互の影響があまり見えなかったことです。

 従来の音楽史は各ジャンルの歴史として語られることが多いと思います。ジャズ史、ブルース史、ロック史etc... 各音楽ジャンルのファンのためにそうした歴史書が書かれるのだから致し方のないところではあります。

 しかしながら、(1)ジャンルを超えたミュージシャン同志の影響・参照関係、(2)ミュージシャン自身がジャンルを越境して作曲・プレイすること、(3)もとからあった音楽やミュージシャンを事後的にジャンルとしてくくることがあること、これらを考慮すると、もうすこしインター・ジャンルな議論が欲しかったと思います。

 (1)については、例えば初期のロック・ドラマーはみなバディ・リッチのようなスウィングドラマーにあこがれてコピーしていたし、ロックギタリストは「三大キング」を始めとするブルースマンをリスペクトしました。それからジャズ論的には、ジャズがブルースを参照するときのイメージの問題、ジャズの「ルーツ」として語られるブルースの問題などがあります。

 (2)に関して。R&Bをプレイしているミュージシャンの映像だけを見てもモダンジャズとほとんど区別がつかないように、プレイヤーには横断的にさまざまなジャンルで活動するものがいます。アメリカの状況とは違うかもしれませんが、日本でジャズ系の「バンドマン」といえばなんでもやるのが仕事だったといいます。

 (3)はブルースを題材に本書でも論じられましたね。

*ラテン音楽の影響史 ―― ダンスミュージックとしてのジャズとラテン

 ラテン音楽の影響を視野に入れた研究が本書の最終章で示されました。ジャンル同志の影響とも関係して、こうした研究がこれから増加してくるであろうことに期待しています。

 菊地成孔大谷能生らもいうように、アメリカン人は「音楽をかけるとかならず踊ろうとする人々」であって、ビ・バップですらも初期にはどうにか踊らせようとプロモーターたちがダンスを提案しました。

 この踊るための音楽=ダンス・ミュージックの歴史として、スウィングのあとを受け継いだ音楽がマンボでありR&Bでありロックンロールである、という見方は成立しないものかと私は考えています。

 50年代のニューヨークに吹き荒れた“mambo craze”*4の嵐はそうとうなものだったと聞きます。それはジャズがビ・バップ化し、行き場を失ったカップルダンス愛好者の格好の受け皿となったからではないか……そんな仮説ともつかないことを考えてしまいます。力のある研究者に実証していただけるといいのですが。

 ジャンル同志の影響関係でいえば、本書で指摘されたことの他にもまだまだたくさんの例がありますね。なかでもジャズとの深く長い関係はもっと認識されて良いと思います。

 スイング期にはデューク・エリントンがラテンを取り入れたナンバーをたくさん作曲していますし、ディジー・ガレスピーの“cu-bop”以降もアフロ・キューバンはアート・ブレイキーやエルヴィン・ジョーンズのスタイルの重要な要素でした。

 フュージョン期もチック・コリアらによるサンバの応用などがありました。70〜80年代におけるTower of Powerのデビッド・ガリバルディやデイブ・ウェックルのスタイルにはおそらくLos Van Vanのソンゴが大きく影響しているはずです。

 これほどの影響がありながら、「民族性を離れた」モダンジャズのリズム、すなわちスイング(日本では4ビートと読んでいる)が優れたものとされ、アフロ・キューバンは一段劣ったもののように評価する言説があった*5ことは、現在からすると驚きです。

■おわりに

 以上、あれこれとないものねだりしてしまいました。本書であきらかにされている様々な事実が鮮烈であるだけに、私が関心をよせていることも扱ってくれたらどんなに面白いだろうと想像してしまう、そんな期待の表れだとご了承ください。

 本当に面白い本です。すべての音楽ファンにお勧めします。

アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ)

アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ)

*1:本人はルーマニア生まれだそう。http://en.wikipedia.org/wiki/Billy_Gladstone

*2:神舘和典 2005 『音楽ライターが、書けなかった話』 新潮新書

*3:「自分のエスニシティのイメージにそぐわない音楽をプレイする」ことの困難さは私たち日本人にも馴染みあるものですね。

*4:マンボの大流行のこと

*5:以前どこかで読んだのですがソースを失念しました。いつか確認します