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Sound, Language, and Human

賢くなるための本を読む――『ネット・バカ』『実践・論理思考トレーニング』『外国語学習の科学』

速くも一月がもう終わろうとしていますが、一月はなんだかんだで一年最初の月、これから残り11ヵ月をより充実して過ごすための基礎知識を増進しようと、3冊ばかり読んでみました。

まずはこれ。

『ネット・バカ』

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

  • Carr, Nicholas G. 2010 The Shallows : What the Internet Is Doing to Our Brains. New York : W.W. Norton. (ニコラス・G・カー 2010 『ネット・バカ ―― インターネットがわたしたちの脳にしていること』 篠儀直子訳、青土社

大量の科学文献を渉猟して得た近年の脳科学の知見をもとに、ハイパーテクストを読む現代人の脳に起きている変化を知的テクノロジーの歴史の中に位置づけ描こうと著者は試みています。

煽りっぽいタイトルには似つかわしくないくらい、ひとつひとつちゃんと文献で論拠が挙げられてて好印象。

本書の基本的なロジックをざっくり要約すると次のような感じです。

  1. 大人になっても脳の神経可塑性は保たれている。ゆえに、
  2. 人間は使っているメディア(知的テクノロジー)に神経構造・精神活動が最適化される
  3. 本を読んでいる時は精神を集中した「深い読み」が行われる。しかし、
  4. ウェブのハイパーテクストは集中力を減らして注意を散らし、強力にアディクションを起こす

これだけだと新しいテクノロジーに警戒を抱くオールド・タイプのような印象かもしれないけれど、次のような著者自身の体験はみなさんも心あたりがあるのではないでしょうか。というか私には自分のことのように思えたんだけど。

この数年のあいだわたしは、誰かが、または何かがわたしの脳をいじり、神経回路を組み替え、記憶をプログラミングし直しているかのような、不快な感覚を覚えていた〔……〕わたしはいま、以前とは違う方法で思考している。そのことを最も感じるのは文章を読んでいるときだ。書物なり、長い文章なりに、かつては簡単に没頭できた。物語のひねりや議論の転換にはっとしたり、長い文を何時閲もかけて楽しんだりしたものだ。いまではそんなことはめったにない。一、二ぺージも読めばもう集中力が散漫になってくる。そわそわし、話の筋がわからなくなり、別のことをしようとしはじめる。ともすればさまよい出て行こうとする脳を、絶えずテクストへ引き戻しているような感じだ。かつては当たり前にできていた深い続みが、いまでは苦労をともなうものになっている(pp. 16-7)

詳しくは本書にゆずりますが、こういう変化がハイパーテクストとウェブサービスRSS、メール、SNS)がそなえてる注意を寸断する性質に由来することが丁寧に論証されてるというわけです。

実は本書は、柴那典さんに教えてもらったものなのでした。こういう「気を散らす」性質によって、日本のネット上で主に聴かれる音楽の密度が高く、展開が多くなっていることの一因なのじゃないか、ということで。

海外の新聞なども、ウェブ版は文章を短くするなどの変化があるという事例も紹介されていて、なるほどそういうこともあるかも知れないと思わされます。

さて、音楽を論じていくためには「深い読み」で読書して内容をまとめ、記憶し、新たな文章の創造につなげていかないといけません*1

ついダラダラ見ちゃうし、ソーシャルな繋がりも必須のものではありますが、ウェブ的な読み方だけに特化するわけにはいかないのです。

ここ何日か試してみたところでは、本を読む時は意識的にモードを切り替えて(ウェブでも長文を読む時はリンクやSNSのことは気にしないで*2)やるといいような感じがします。

気が散ってしまったら「ああ、ウェブ脳になってる、いかんいかん」くらいに思っておくと逆にもう一度意識を向けやすくなるかも。そして何よりブラウザとTwitterクライアントを落とすことですねw

さてさて、先ほど述べた「新たな文章の創造」をより向上させたいということで読んでみたのが次の本。

『実践・論理思考トレーニング』

実践・論理思考トレーニング

実践・論理思考トレーニング

よくある論理思考の本と同様に、帰納・演繹・MECE・ロジックツリーなどを紹介しつつ、設定した目標を達成することへむけて行動とロジックを組み立て*3、それを文章に表現できるよう平易にまとめた社会人向けの実用書。

中心的なトピックで独自の用語が未定義で使われていたりしてわかりにくいところもありましたが、発想転換の方法としての弁証法とか、答えがいくつあるかわからない状況でのMECEは現実的には困難であるとか、いろいろTipsは得られました。

本書で興味深かったのは、後半で2章もかけて、文章のアナライズと論評を行っているところ。

ちょうど私が参加しているフミカレコーズも『フミカ 1.5』で自分たちのレビューをアナライズしていまして、文章上達の一方法としてそれなりにアリなものだったんだなという思いを強くしました。

2章もかけてということで、それは多種多様な文例を紹介しているのですが、その分野の幅広さからきっと著者が普段あちこちで読んだものから意識してメモしたものなのだろうなと思われます。

実はさきの『ネット・バカ』の中でも、ルネサンス期にエラスムスが提唱して定着した、読書したときメモや抜き書きを書き留めておくノート、「コモンプレイス・ブック」が紹介されていました(p. 247)。

こうして記憶した言葉たちが脳の中で長期記憶として処理され続ける*4ことで熟成し独自の新しい情報の結びつきを得るのだそうです(pp. 250-6)。

次に紹介する『外国語学習の科学』でも記憶の効用が強調されています。

単語などは暗記するものだというのはみんな知っていると思いますが、大人になってから例外的にネイティブに近いまでに上達した人は暗記に頼るところが大きく、特に自然な表現を身につけるには例文暗記がとても有効だということです。

文法と単語の組み合わせだけだと自然な表現にはならないというだけでなく、上で見たように、長期記憶にインプットされることで、文法的な感覚なども養われていくのだろうということが想像されますね。

『外国語学習の科学』

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)

英語の勉強の効率を上げようという下心で読んだ本書でしたが、それ以外にも示唆するところ大でした。というか、やっぱり音楽と言語の習得過程、音楽理論と文法ってかなり似てるよなという。

まず、言語学習に関しては二つの両極的モデルがあるのだそうです。

  • インプット仮説:「習得」はメッセージを理解することによってのみおこり、意識的に「学習」された知識は発話の正しさをチェックするのに使えるだけである。
  • 自動化モデル:スキルは、最初は意識的に学習され、何度も行動を繰り返すうちに自動化し、注意を払わなくても無意識的にできるようになる。(p. 113)

これらはどちらも極端であり、現在の多くの研究者は中間的立場であるといいます。

実際、ゆっくり話していたのがだんだん流暢になるということはあるし、意識的に学習したことによって自然に聞いているだけでは理解できない言語項目(冠詞のa / anの違いとか)へ注意が行くため聴き取りができるようになり、それがまた自然な言語習得を促進するという面もある(p. 114)。

このあたり、音楽のリスニングでも同じことが言えそうな感じがします。たくさん聴いていれば理論が自然に理解できるところもあるし、理論を学んだからこそ聴き取れるようになるという部分もあるので。

音楽の場合、理論的に分節して聴かない人でも楽しめる部分が非常に大きいというのが言語と違うところですが。

前節の最後に述べた、自然な表現を達成するための例文暗記についても、理論に頼って適当にフレーズを作ってもなかなかジャズっぽくならず、フレーズをコピーしてみることが必須であるのとかなり似ていると思われます。

また「フォーカス・オン・フォーム」といって、漫然と意味だけを捉えるのではなく、文法を意識しながらリスニングをしていく、という方法が紹介されています(p. 145)。『英語上達完全マップ』でいう「網掛け聞き」ですね。

「フォーカス・オン・フォーム」はリスニングと自分の発話について言われていることのようですが、おそらく『実践・論理思考トレーニング』や『フミカ』で行われているようなしっかりとアナリゼして読むことの重要性と通じるのではないかと思います。

文法でも文体でも、しっかりと語・句・節が作っている構造を把握すること、それを意識しながら読んだり暗唱したり(あるいは書写したり)することによって、先人の表現を自分のものにしていくことができるのでしょう。

楽器でもただ漫然とコピーしたり演奏したりするよりも理論や奏法論に位置づけながら行ったほうが身につく度合いは高いのではないでしょうか。

・・・というかこのエントリ自体が、(日本の)評論文でよく使うわれている「共通点をピボットにした話題の転換」という技法の実験であるというオチなのでした。ちゃんちゃん。

*1:余談ですが、自分の行動パターンを振り返るに、ウェブをダラ見するよりもソシャゲにハマってる時のほうがかなり注意散漫になり、本が読めなくなる感じがします。いまこうして読めてるのもソシャゲやめたからで、完全にトレードオフになっているというw ソシャゲは時間をゲーム内資源に変換するからつい何度も注意を向けちゃうし、イベントやら相場やらをあちこち見て回ったりしてしまいますから、ここでいうウェブ的、ハイパーテクスト的な注意散漫化の特徴をソシャゲもよく備えているのでしょう

*2:本書に従えば、はてなキーワードって長文を読ませるには実はぜんぜん向いてないんですよねw

*3:目標達成、問題解決のための(しかも上司など誰かを説得するための)ロジックというのは、ある社会現象がなぜそうなっているかの説明するためのロジック(論文とか)とは発想の順序が逆になるんですね。ロジックを立てて行動し結果を得るのと、行動した結果を分析してロジックを立てるのと。

*4:機械と違って一度頭に入れたらそのままではなく、思い起こすたびに新たに処理がされるらしい