Jablogy

Sound, Language, and Human

パクリ論の前進のために

先日、「よいこの盗作問題入門(aikoマラソンは一回お休み)」というエントリが上がったのをきっかけにすこしTLで話題になっていたので少々メモを。

この問題についてはポピュラー音楽研究者の増田聡が優れた論考を書いていますが、目下、読書会を計画中の『聴衆をつくる』には収録されていないということもあり、参考のために文献を挙げておきます。

  • 増田聡 2005 「『パクリ』再考 ―― 美学的分析の試み」 三井徹監修 『ポピュラー音楽とアカデミズム』 音楽之友社、pp. 230-252
  • 増田聡 2008 「データベース、パクリ、初音ミク」『思想地図』 vol.1、NHK出版、pp.151-176

もちろんこれらの論文それぞれのロジックがあるのですが、次のようなところがポイントでしょう。

  • 剽窃が法廷で争われるときには実際に先行する曲を参照したかどうかの事実性が問われなければならないのに対し、「パクリ」をあげつらう場合には表面上の類似性のみが問題にされる
  • パクリを批判する理由として他人が苦労して創作した労力を搾取するから、他者のパブリシティ(注目を集めるための性質、人気)へのフリーライディングだから、という二つがある
  • 自分が好み聴取するアーティストや楽曲が自己のアイデンティティの一部をなすために、楽曲間にオリジナリティの欠如とみなされ得る類似を見つけるとムキになってパクリであると言い立てずにはいられなくなる。
  • また、完全なオリジナリティを信奉するものがいる一方でそれがありそうにないことも知られてきているために両者のすれ違いが続く(「○○は△△のパクリ」v. s. 「創作はすべてパクリから始まる」みたいな)

私の見るところでは、これらに加え、なんらかの瑕疵や不法が見つかればその一点をもって「叩いてもよい」と認定し攻撃をくわえる「炎上」の問題も絡んでいるように思います。

ウェブ上の創作において作者が剽窃・パクリ(だけでなく無断転載や改変なども同様ですが)を訴える場合は、自作品という人格性を賭けたものを侵害されると感じるので、という理由もあるようです。

このように解きがたい状況にあるために、パクリが問題にされるのは今後も続くのでしょうけれど、ある程度冷静に議論し、ループさせず前進するためにはどうすればよいでしょうか。

  • オリジナリティはいかにして・どこまで可能かを主題的に論じる
  • 模倣を美学的に肯定する、あるいは悪と断じない美学をつくり共有する
  • これら増田の議論のような、メタ的な視点から自己のアイデンティティを仮託していることを自覚・相対化する

私が思いつくのはこのくらいですが、どれも大変ですよねw オリジナリティについては増田先生もアポリアって書いてたくらいだし。オリジナルかどうかは置くとしても、市場において人気をあらそう商品としての楽曲・アーティストは「他との差別化」はどうしても必要になるような気もするし。とりあえず

は読まないといけない感じでしょうね。

ほかウェブ上で参考になる記事に次のようなものもあります。

小田部胤久『西洋美学史』読書会でも伝統と創作の関係、伝統と新しさあるいは想像力・イメージによる創造といったトピックは繰り返し登場しました。中でも第8章のヤングがもっとも直接的にオリジナリティ概念をあつかっています。本格的に研究するならそれらの論者を読んでいくことになるのでしょうね(どこまでできるかはわからないけど)。