冨田恵一『ナイトフライ ―― 録音芸術の作法と鑑賞法』
- 作者: 冨田恵一
- 出版社/メーカー: DU BOOKS
- 発売日: 2014/07/18
- メディア: 単行本
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ドナルド・フェイゲンの名盤《The Nightfly》を70年代~80年代のトレンドの中に位置づけつつ,全楽曲のすみずみにいたるまで分析し尽くした労作。音楽作品を論じた著作としては,菊池=大谷のもの以来はじめて,これぞというマスターピースに出会えた。譜面や理論を使わずともここまで粒度の高い言語化が可能なのだということを例証してくれているようで,読んでいてエンカレッジされる思いがする。
「録音芸術の作法と鑑賞法」という副題から伺えるように,レコード・楽曲がいかにして制作されるか(詩学),楽曲がどのような構造を持っているか,それがどのような印象をあたえるか,を描き出している。すなわち,その音の記述において,ナティエのいう「創出/中立/感受のレベル」がきちんと区別されているように感じた。著者がナティエをお読みでないとしたら,ちゃんとセンスのある人ならばそれらレベルを混同せずに済むものだ,ということになろうか。
著者が解き明かしてくれる音楽のマジックのひとつが「無意識」の作用だ。すなわち,音として鳴ってはいても意識にのぼってこないバックの音や,数ミリセカンドの微細な調整の積み重ねが,楽曲全体のもつ雰囲気やフィールを左右するというのである。ジャズドラムにおいて,バスドラムのフェザリングやブラシのスウィープなどのように,聞こえない音をあえて出す理由が納得できた。
さらなる方法論上の課題を考えてみるならば,スラングやフォークタームを記述・分析に使用することの是非であろうか。本書では例えば「サビ」「16ビート」などといった,俗に使われている用語を用いて分析が行われている。俗語だけに,内包は厳密に定められておらず外延もどこまでと線を引きづらい。また欧米の人々との用語や意味のズレも出てくるはずである。スラングの使用は便宜的ものと割り切る,分析対象の側がもっている概念にそって考える,などの反省的視点があるとなおよいのではないだろうか。
また,専門用語が多いため若干敷居が高いのは致し方ないところか(想定する読者層にあわせて前提とする知識の水準をコントロールすべきなのはどのジャンルの書物でも同様であろうけれど)。とはいえ,音楽好きを自認できる人なら,多少わからないところはありつつも読みこなせるレベルのはずである*1。音楽をいかに言語化するかという課題に関心のある向きにはぜひ一読を勧めたい。
読書メーター一周年まとめ
9/30日で読書メーターで記録をつけ始めてから一年が経過したので,
読書の結果と一年使用しての雑感をまとめておきたい。
結果
読んだ本の数:70 (1日平均0.19)|読んだページ数:18770 (1日平均51)
読めている時とまったくストップしてしまっている時がある。ひとつなにかやっていると他のことができないタイプなので,読書以外に英語学習などをしているとグラフが平らになってしまうのだった(単にやる気がなかったりもしたけど)。平行して取り組める器用さも欲しいところ。
読めている時期では,平均すると一日130ページほどは読めた。平易な新書や小説などなら,頑張れば(時間が取れれば)一日一冊(200ページ程度)は読める。専門書だと,やさしくても2~3日,難しいものなら1週間は必要だった。
読みの深さについては,いずれも,わからないところはありつつも一応カバートゥカバーで通読するくらいのレベル。どの分野でもまず数をこなして知識を身に付ける必要を感じたので,速度優先で読むことにしていたため。
雑感
このように結果が可視化されることで,自分のペースが知れたのはひとつの収穫だった。期日があるならそれまでにどれくらい読めるかわかるし,優先順位や取捨選択もしやすくなる。
可視化しているというのはやる気を引き出す(正しい意味でモチベーションを形成する)うえでもよかった。「読み終えた本」に追加してやるとグラフが右肩上がりになるのは見ていて気持ちがいいし,読んでなくてグラフが平らになってると「ああやばい」と気持ちが急き立てられる。
このおかげで70冊(同人誌とかも入ってるけど)を読むことができた。一年間の冊数としては自己記録かな。
たくさん読めたのは,以前このブログでやってたように細かくノートに取るのではなく,250字(+α)の簡易な感想にしたのもある*1。やはりしっかりノートを取らなきゃという気持ちまで込みで本に向かうと,読みだすまでの心理的なハードルが高くなってしまう。
この読書メーターでやったように,内容が思い出せる程度に要約・感想を書き,残りはキーワードや簡単なコメントなどをページ数といっしょにメモしておく程度でも個人のノートとしては及第点かなと(図書館の本だと資料として使いたい時にまた借りてくる必要が出てくるけど)。『論文ゼミナール』でいっていた「個人用の索引」をつくるような感じに近いかも。
記録が読書メーターにうつったことで,読書ネタが多かったこのブログの更新が止まってしまったのは難点だった。感想は250字にとどめて,余談的なことをこちらで書いたりとかしてもよいけれど,読む側からすると二度手間かもしれない。何冊か読んだところでそれらの文脈をまとめるなどするのはよいだろう。
というわけで,手始めに今年読んだ70冊のなかからおすすめのものを文脈をつけてまとめてみる。
おすすめピックアップ
- シェイクスピア
- ジュリアス・シーザー
- ヴェニスの商人
- シェイクスピアは,話のつながりがわかりにくかったりはするけれど,イメージほどは難しくなかった。特に上の二冊はわりとわかりやすかったので,これらで慣れてから四大悲劇にいくといいと思う。やっぱりあちこちで引き合いに出されるので知っておくと助かるし。
- 学問の歴史と時代精神
- 文化人類学と藝術,第一次対戦後に現れた古代的社会への期待
- プリミティヴアート
- マルセル・モースの世界
- 文化の窮状――二十世紀の民族誌、文学、芸術
- 人類学やる人はまず読んでいるだろうから,むしろ美術などに関心を持つ人にこそ読まれて欲しい三冊
- 語学・言語学
- 美学
***
今年読んだものは基礎的な力をつけるためのものが多かったので,今後はもう少し実践的な問題意識にかかわる文献も読んでいけるといいなと思う。まあもうすこし,年内くらいは基礎練継続か
山田敏弘『あの歌詞は、なぜ心に残るのか』
あの歌詞は、なぜ心に残るのか─Jポップの日本語力(祥伝社新書)
- 作者: 山田敏弘
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2014/02/03
- メディア: 新書
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読了。感想はこちら:
以下、興味深かったポイントのメモ。
旧来の学校文法からの変化
90年前後、日本語学習者増加、実用的な文法研究が進んだ(p. 5)
これ・それ・あれ
「こ」は話者の領域
「そ」は聞き手の領域
「あ」はそのいずれでもない、両者から遠い領域、をあらわす
鼻濁音
昔の歌謡曲は基本ガ行は鼻濁音だったが、いまではあまりもちいられない。 近年のJ-POPとしては珍しく、いきものがかりは初期以外(「ブルーバード」以降が顕著)鼻濁音を使っている。(pp. 56-8)
ら抜き言葉
歌詞という何度も推敲され繰り返し口にされるものがもつ保守性、規範へのバイアスの例としてサザンオールスターズに言及している。
昭和49年~50年(1974-5)の調査で東京の若者の65%ほどがすでにら抜き言葉を使っていたが、同世代のサザンオールスターズは(特に初期は)ら抜き言葉を使っていないとのこと。(pp. 64-6)
「~ていた」
補助動詞「~ている」は状態の継続をあらわす(雪が積もっている)。
その過去バージョン「~ていた」「~てた」が「結果状態を表わすとき、それは、動作や変化の過程に気づかなかったことをも同時に表わす」(p. 99)。
人は変化の途中で気づくよりも、後でその結果を知ったほうが、驚愕し、呆然とする。気づかなかったという事実は、それが好ましからざる場合には、悲嘆やとまどいへとつながってゆく。「変わって」では言い尽くせない気持ちが、「変わっていて」にはある(pp. 99-100)
〔確かにこういう後悔とかノスタルジーの表現はJ-POPによく見られるもののように思う〕
接続助詞「と」
「おなかが減ると力が出ない」などの「と」は恒常的な条件・性質をあらわす(おなかが減る → 必ず力が出なくなる)。
「~たら」「~ば」だと、偶発的に起きた一回限りのことも表せる。ので「いつもそのようになる」という意味をもたせる場合はやはり「と」を選ぶ人が多いのではないだろうか」と著者は推定している(p. 111)。
例えば、尾崎豊「BOW!!」の「夢を語って過ごした夜が明けると/逃げ出せない渦が日の出とともにやってくる」という一節について:
ここでも、用いられる接続助詞は、「と」でなければならない。そうでないと、後に描かれる「希望の夜」と「希望のない昼」が、繰り返しやってくる日々がぼやけてしまうからである。ここでの「と」も必然的選択なのである。(p. 112)
小田和正の透明感
日本語では主語は必要ない場面も多い。にもかかわらず、小田和正は「僕」や「君」といった人称代名詞をかなり頻繁に用いる。
「僕が君の心の扉を叩いている」(オフコース「愛を止めないで」)のようにあえて人称代名詞を使うことで、そのシーンが客観的に描写できる。
客観は、主観よりも静かである。感情のどろどろした部分はそぎ落とされる。それによって、楽曲が透き通っていく。オフコースの歌には「透明感」があると評するファンが多いのは、小田和正の澄んだ声に加えて、この客観的描写も一因となっているのではないか。(p. 207)
最近読んだ・チェックした本まとめ
ニューオーリンズ・ジャズにおけるトランペッターの役割り
またまた Jazz at Lincoln Center's JAZZ ACADEMY の動画が興味深かったのでポイントをいくつかメモ。
- ニューオーリンズスタイルにおいて、トランペット奏者の役割りは交通整理の警官、あるいはクォーター・バックのようなもの。演奏時間の大部分、前もって書かれたアレンジの譜面はなく、リードシートを使って、演奏しながらアレンジがなされていく。そのためのシグナルを出すのがトランペット奏者。
- 単にメロディーをやってソロを回して、というだけでは退屈になるので、ストップタイム(リズム隊が頭だけユニゾンしてブレイクするあれ。チャールストンや "4-1" なんかの場合も)の部分を作ったりして、飽きが来ないように指揮を執る。
- こうした指示は、全く会話しないで出されるときもあるし、ただ「ストップタイム!」と叫ぶことでみんなの注意を引くこともある。
- 隙間を埋めるため、ないしソロイストがハーモニーがわからなくなったときそれを教えてあげるように、リズミックだったりロングトーンだったりの伴奏フレーズを出すこともある。
- こうした指揮をとる上では、他のプレイヤーの「足を踏んづけない〔邪魔をしない、機嫌を損ねない〕」ようにするのが大事。特にバンドリーダーじゃない場合は。リーダーがどんな風にして欲しいのか理解しておくべし。バンドリーダーが次と思ってる人じゃない人にソロを回したりとかしないように。
今のジャズのセッションでもこういった流れを作る指揮のようなものは行われているけれど、ニューオーリンズのスタイルでも(1920年代当時とかからそうだったのかはよくわからないけど)同様のことをするのだな、というのがわかる。
モダンジャズなスタイルだとトランペットに限らず、ソリストが引っ張っていくことが多いかな。ベースとドラムだけでアイコンタクトして仕掛けたりとかいうこともあったりするし、わりと流れを作る権利は平等にあるとは思うけど、まず誰がリードするかというと、ソリストかなというくらいの。
ジャズで即興というと、どんなコードにどんな音を載せるか、どんなスケールが使えるかなどに(特に理論を考える上では)注目が集まりがちだけれど、こういう、その場のミュージシャン同士の相互作用やお客さんの反応を含めて、どういう流れに演奏・楽曲をもっていくかという部分も、即興の楽しみとして相当大きなウェイトを占めるものだよなー、と改めて思う。
沈黙は金
Modern Drummer のウェブ記事を読んでいて、よい言葉があったので訳して紹介したい。
2.全く知らない音楽スタイルをこき下ろすべからず
なにか特定の音楽スタイルをダメだという人は、実際にはそう口にすることで、そのスタイルについて何も知らないということを白状している。端的に言って彼らはものを知らないんだ。あらゆるスタイルの音楽はなにか言うべきものを持っているし、技術的な独自性と、学ぶべき特有の語彙と文法とを備えている。もちろん正直に認めると、私達はだれでもそれぞれ音楽の好みがある。それぞれ食べ物の好みがあるのと同じようにね。でも、その好みを理由にしてスノッブになるべきじゃない。ただ次のことを考えてみて。君が他のよりずっと好きな音楽があるとして、それは全くの無から生まれたのではないんだ、ということを。君の好きな音楽は様々な要素を他のスタイルに負っているのがわかるよね。そうしたら、高飛車に出るのはやめて、心をオープンに保とう。わからないときは、口を閉じよう。
10 Tips from Bobby Sanabria
音楽に限った話ではなく、人はなじみのないものはつい軽んじてしまいがち――素朴な自集団への愛着からくる排斥もあろうし、また価値の無いものであってくれたほうが、学ぶ時間的コストがかからなくて楽だというのもあるだろう――だけど、それじゃダメよねと。
他者が持つそれぞれの文脈・事情を知り自己の鏡とせよ、というのは文化人類学の教えるところでもあるし、なにかを批判するならきちんと論拠をそろえないといけないのは学問・言論一般のマナーでもある。創作一般においても、他のよさを認められなければ自分の表現の幅が狭まりそうだし、おなじようにほかから軽んじられたとき反論できなくもなってしまうだろう。
他にもよいドラマーとしての心構えが書いてあって面白いので、気になる人は元記事をご覧あれ。
Let Freedom Ring
アメリカでは二月はBlack History Month 黒人歴史月間になっている。それにちなんで有名なマーティン・ルーサー・キング JR. のスピーチ "I Have a Dream" (1963) を精読してみた。感想をいくつかメモしておきたい。
レトリック的な特徴としては次の4点が上げられると思う。
- 引喩 (allusion)
- 視覚的なメタファー
- 反復法
- 声のダイナミクス
引喩 (allusion) というのは、「有名な人、場所、出来事、文学作品、芸術作品などを直に述べるか、それらについて言及する修辞技法のこと」*1「自分の言いたいことを、有名な詩歌・文章・語句などの引用で代弁させること」*2。独立宣言や差別の看板の文言、有名な問題がある地名などをあげているので、主張の内容が聞くがわの腑にストンと落ちてくる。
また、はっきり引用箇所がわかるフレーズ*3から、これはもしかするとと思わせる単語選び*4まで、そこかしこに聖書の引用が散りばめられている。そうすることで、紀元前のレバントで圧政と戦った人々と、公民権運動で戦う人々が、イメージ的に重なり合うような効果が出ていると思われる。
想像しやすいという点で、引喩と重なる(というかはっきりわけられないのだろうと思うけど)のが、視覚的なメタファー。抽象的な概念を言い表すのに具体的な名詞を出して、「AというB」*5「AのようなB」とすることで、かなり理解しやすくしている。独立宣言で示された平等がまだ達成されていないのを、未払いの小切手に譬えるところはユーモアも感じられる。メタファーではないが、Let freedom ring のパートであちこちの地名を出すのも、国土全体がひとつの未来に向かっていくさまをありありと想像させる。
そして反復法。タイトルにもなっている "I have a dream" や オバマ大統領がオマージュした "Now is the time" など、フレーズを繰り返すことでグイグイ盛り上げ、螺旋状にテンションがあがっていく。
静かなトーンで始まったスピーチも、そのような反復法を通じてしだいに高揚していき、途中では感極まったように声を震わせたりしながら、最後にはかなり大きな声で熱っぽく聴衆に語りかけている。この盛り上げ方の推移は、ジャズのアドリブソロ*6の典型的なダイナミクスの付け方とそっくりである。
アフリカ系の人が多くゴスペルをやる教会では説教と会衆のコールアンドレスポンスが歌とことばの中間のようになるとも聞くが、キング牧師もそうした伝統に生きたのかもしれない。キング牧師のバプテスト派にはゴスペルで盛り上がるところもあるそうだし*7、最後に引かれている Free at Last は黒人霊歌だし。
また、"I have a dream," "One hundred years later," "We can never be satisfied,” などの、文の上では先頭に来ているフレーズを、前の文章からひとつづきに読んでしまうことによって、文の切れ目をずらしているのは、ビバップ的なフレージングというか、"over the bar line" なフレージングにとてもよく似ていると思う。(ラップはあまり詳しくないけど、エミネムやパブリック・エネミーもこういうことしてた記憶がある。)
*
……という具合に、トランスクリプトが掲載されているサイトが集めたトップ100の中でも、堂々の1位を得るにふさわしい、音楽的・詩的なスピーチだと思う。英語力向上のためにも、繰り返し聴きこんで、できれば覚えてしまいたいところだ。
*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%95%E5%96%A9
*4:captibity, tribulation. バビロン捕囚や患難を指してるっぽい
*5:この型をとっているので同格の of がすごく多い
*6:「アフリカ系アメリカ人ゴスペル歌手マヘリア・ジャクソンが演説終盤に『あなたの夢を語って』と叫んだことから、キングはあらかじめ用意していた演説を中断し、“I Have a Dream” という語句を強調して説き始めた」(http://ja.wikipedia.org/wiki/I_Have_a_Dream)とあるのだけど、これが本当ならキング牧師はアドリブ力もすごいということになる