山田敏弘『あの歌詞は、なぜ心に残るのか』
あの歌詞は、なぜ心に残るのか─Jポップの日本語力(祥伝社新書)
- 作者: 山田敏弘
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2014/02/03
- メディア: 新書
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読了。感想はこちら:
以下、興味深かったポイントのメモ。
旧来の学校文法からの変化
90年前後、日本語学習者増加、実用的な文法研究が進んだ(p. 5)
これ・それ・あれ
「こ」は話者の領域
「そ」は聞き手の領域
「あ」はそのいずれでもない、両者から遠い領域、をあらわす
鼻濁音
昔の歌謡曲は基本ガ行は鼻濁音だったが、いまではあまりもちいられない。 近年のJ-POPとしては珍しく、いきものがかりは初期以外(「ブルーバード」以降が顕著)鼻濁音を使っている。(pp. 56-8)
ら抜き言葉
歌詞という何度も推敲され繰り返し口にされるものがもつ保守性、規範へのバイアスの例としてサザンオールスターズに言及している。
昭和49年~50年(1974-5)の調査で東京の若者の65%ほどがすでにら抜き言葉を使っていたが、同世代のサザンオールスターズは(特に初期は)ら抜き言葉を使っていないとのこと。(pp. 64-6)
「~ていた」
補助動詞「~ている」は状態の継続をあらわす(雪が積もっている)。
その過去バージョン「~ていた」「~てた」が「結果状態を表わすとき、それは、動作や変化の過程に気づかなかったことをも同時に表わす」(p. 99)。
人は変化の途中で気づくよりも、後でその結果を知ったほうが、驚愕し、呆然とする。気づかなかったという事実は、それが好ましからざる場合には、悲嘆やとまどいへとつながってゆく。「変わって」では言い尽くせない気持ちが、「変わっていて」にはある(pp. 99-100)
〔確かにこういう後悔とかノスタルジーの表現はJ-POPによく見られるもののように思う〕
接続助詞「と」
「おなかが減ると力が出ない」などの「と」は恒常的な条件・性質をあらわす(おなかが減る → 必ず力が出なくなる)。
「~たら」「~ば」だと、偶発的に起きた一回限りのことも表せる。ので「いつもそのようになる」という意味をもたせる場合はやはり「と」を選ぶ人が多いのではないだろうか」と著者は推定している(p. 111)。
例えば、尾崎豊「BOW!!」の「夢を語って過ごした夜が明けると/逃げ出せない渦が日の出とともにやってくる」という一節について:
ここでも、用いられる接続助詞は、「と」でなければならない。そうでないと、後に描かれる「希望の夜」と「希望のない昼」が、繰り返しやってくる日々がぼやけてしまうからである。ここでの「と」も必然的選択なのである。(p. 112)
小田和正の透明感
日本語では主語は必要ない場面も多い。にもかかわらず、小田和正は「僕」や「君」といった人称代名詞をかなり頻繁に用いる。
「僕が君の心の扉を叩いている」(オフコース「愛を止めないで」)のようにあえて人称代名詞を使うことで、そのシーンが客観的に描写できる。
客観は、主観よりも静かである。感情のどろどろした部分はそぎ落とされる。それによって、楽曲が透き通っていく。オフコースの歌には「透明感」があると評するファンが多いのは、小田和正の澄んだ声に加えて、この客観的描写も一因となっているのではないか。(p. 207)
最近読んだ・チェックした本まとめ
ニューオーリンズ・ジャズにおけるトランペッターの役割り
またまた Jazz at Lincoln Center's JAZZ ACADEMY の動画が興味深かったのでポイントをいくつかメモ。
- ニューオーリンズスタイルにおいて、トランペット奏者の役割りは交通整理の警官、あるいはクォーター・バックのようなもの。演奏時間の大部分、前もって書かれたアレンジの譜面はなく、リードシートを使って、演奏しながらアレンジがなされていく。そのためのシグナルを出すのがトランペット奏者。
- 単にメロディーをやってソロを回して、というだけでは退屈になるので、ストップタイム(リズム隊が頭だけユニゾンしてブレイクするあれ。チャールストンや "4-1" なんかの場合も)の部分を作ったりして、飽きが来ないように指揮を執る。
- こうした指示は、全く会話しないで出されるときもあるし、ただ「ストップタイム!」と叫ぶことでみんなの注意を引くこともある。
- 隙間を埋めるため、ないしソロイストがハーモニーがわからなくなったときそれを教えてあげるように、リズミックだったりロングトーンだったりの伴奏フレーズを出すこともある。
- こうした指揮をとる上では、他のプレイヤーの「足を踏んづけない〔邪魔をしない、機嫌を損ねない〕」ようにするのが大事。特にバンドリーダーじゃない場合は。リーダーがどんな風にして欲しいのか理解しておくべし。バンドリーダーが次と思ってる人じゃない人にソロを回したりとかしないように。
今のジャズのセッションでもこういった流れを作る指揮のようなものは行われているけれど、ニューオーリンズのスタイルでも(1920年代当時とかからそうだったのかはよくわからないけど)同様のことをするのだな、というのがわかる。
モダンジャズなスタイルだとトランペットに限らず、ソリストが引っ張っていくことが多いかな。ベースとドラムだけでアイコンタクトして仕掛けたりとかいうこともあったりするし、わりと流れを作る権利は平等にあるとは思うけど、まず誰がリードするかというと、ソリストかなというくらいの。
ジャズで即興というと、どんなコードにどんな音を載せるか、どんなスケールが使えるかなどに(特に理論を考える上では)注目が集まりがちだけれど、こういう、その場のミュージシャン同士の相互作用やお客さんの反応を含めて、どういう流れに演奏・楽曲をもっていくかという部分も、即興の楽しみとして相当大きなウェイトを占めるものだよなー、と改めて思う。
沈黙は金
Modern Drummer のウェブ記事を読んでいて、よい言葉があったので訳して紹介したい。
2.全く知らない音楽スタイルをこき下ろすべからず
なにか特定の音楽スタイルをダメだという人は、実際にはそう口にすることで、そのスタイルについて何も知らないということを白状している。端的に言って彼らはものを知らないんだ。あらゆるスタイルの音楽はなにか言うべきものを持っているし、技術的な独自性と、学ぶべき特有の語彙と文法とを備えている。もちろん正直に認めると、私達はだれでもそれぞれ音楽の好みがある。それぞれ食べ物の好みがあるのと同じようにね。でも、その好みを理由にしてスノッブになるべきじゃない。ただ次のことを考えてみて。君が他のよりずっと好きな音楽があるとして、それは全くの無から生まれたのではないんだ、ということを。君の好きな音楽は様々な要素を他のスタイルに負っているのがわかるよね。そうしたら、高飛車に出るのはやめて、心をオープンに保とう。わからないときは、口を閉じよう。
10 Tips from Bobby Sanabria
音楽に限った話ではなく、人はなじみのないものはつい軽んじてしまいがち――素朴な自集団への愛着からくる排斥もあろうし、また価値の無いものであってくれたほうが、学ぶ時間的コストがかからなくて楽だというのもあるだろう――だけど、それじゃダメよねと。
他者が持つそれぞれの文脈・事情を知り自己の鏡とせよ、というのは文化人類学の教えるところでもあるし、なにかを批判するならきちんと論拠をそろえないといけないのは学問・言論一般のマナーでもある。創作一般においても、他のよさを認められなければ自分の表現の幅が狭まりそうだし、おなじようにほかから軽んじられたとき反論できなくもなってしまうだろう。
他にもよいドラマーとしての心構えが書いてあって面白いので、気になる人は元記事をご覧あれ。
Let Freedom Ring
アメリカでは二月はBlack History Month 黒人歴史月間になっている。それにちなんで有名なマーティン・ルーサー・キング JR. のスピーチ "I Have a Dream" (1963) を精読してみた。感想をいくつかメモしておきたい。
レトリック的な特徴としては次の4点が上げられると思う。
- 引喩 (allusion)
- 視覚的なメタファー
- 反復法
- 声のダイナミクス
引喩 (allusion) というのは、「有名な人、場所、出来事、文学作品、芸術作品などを直に述べるか、それらについて言及する修辞技法のこと」*1「自分の言いたいことを、有名な詩歌・文章・語句などの引用で代弁させること」*2。独立宣言や差別の看板の文言、有名な問題がある地名などをあげているので、主張の内容が聞くがわの腑にストンと落ちてくる。
また、はっきり引用箇所がわかるフレーズ*3から、これはもしかするとと思わせる単語選び*4まで、そこかしこに聖書の引用が散りばめられている。そうすることで、紀元前のレバントで圧政と戦った人々と、公民権運動で戦う人々が、イメージ的に重なり合うような効果が出ていると思われる。
想像しやすいという点で、引喩と重なる(というかはっきりわけられないのだろうと思うけど)のが、視覚的なメタファー。抽象的な概念を言い表すのに具体的な名詞を出して、「AというB」*5「AのようなB」とすることで、かなり理解しやすくしている。独立宣言で示された平等がまだ達成されていないのを、未払いの小切手に譬えるところはユーモアも感じられる。メタファーではないが、Let freedom ring のパートであちこちの地名を出すのも、国土全体がひとつの未来に向かっていくさまをありありと想像させる。
そして反復法。タイトルにもなっている "I have a dream" や オバマ大統領がオマージュした "Now is the time" など、フレーズを繰り返すことでグイグイ盛り上げ、螺旋状にテンションがあがっていく。
静かなトーンで始まったスピーチも、そのような反復法を通じてしだいに高揚していき、途中では感極まったように声を震わせたりしながら、最後にはかなり大きな声で熱っぽく聴衆に語りかけている。この盛り上げ方の推移は、ジャズのアドリブソロ*6の典型的なダイナミクスの付け方とそっくりである。
アフリカ系の人が多くゴスペルをやる教会では説教と会衆のコールアンドレスポンスが歌とことばの中間のようになるとも聞くが、キング牧師もそうした伝統に生きたのかもしれない。キング牧師のバプテスト派にはゴスペルで盛り上がるところもあるそうだし*7、最後に引かれている Free at Last は黒人霊歌だし。
また、"I have a dream," "One hundred years later," "We can never be satisfied,” などの、文の上では先頭に来ているフレーズを、前の文章からひとつづきに読んでしまうことによって、文の切れ目をずらしているのは、ビバップ的なフレージングというか、"over the bar line" なフレージングにとてもよく似ていると思う。(ラップはあまり詳しくないけど、エミネムやパブリック・エネミーもこういうことしてた記憶がある。)
*
……という具合に、トランスクリプトが掲載されているサイトが集めたトップ100の中でも、堂々の1位を得るにふさわしい、音楽的・詩的なスピーチだと思う。英語力向上のためにも、繰り返し聴きこんで、できれば覚えてしまいたいところだ。
*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%95%E5%96%A9
*4:captibity, tribulation. バビロン捕囚や患難を指してるっぽい
*5:この型をとっているので同格の of がすごく多い
*6:「アフリカ系アメリカ人ゴスペル歌手マヘリア・ジャクソンが演説終盤に『あなたの夢を語って』と叫んだことから、キングはあらかじめ用意していた演説を中断し、“I Have a Dream” という語句を強調して説き始めた」(http://ja.wikipedia.org/wiki/I_Have_a_Dream)とあるのだけど、これが本当ならキング牧師はアドリブ力もすごいということになる
伝統的なドラムスティックの型番の意味
ドラムスティック売り場に行くと、いろんな数字やアルファベットの型番がついた、多種多様な製品が売られている。初心者だとすぐには把握しきれないほどだ。
だが慣れてくると、その多様な中にも、わりと共通して使われている数字と文字の組みあわせがあることに気がつく(7A とか 5A とか)。これらは、どうも太さなんかに応じてつけられているようだ。
しかし、はっきりそうだといっている情報にいままで出会ったことがなく、ほんとのところどうなのかがずっと気になっていた。
先日、Modern Drummer のウェブ記事を見ていたら、ちょうどこの件を解説している文章に行き当たったので紹介してみたい。
この記事によれば、数字+アルファベットでスティックの特徴を表す方式が始まったのは1900年代はじめであるという。
もともと、アルファベットは音楽のスタイルを、数字は直径・太さを表していた。そして、太くなるほど数字は小さくなる、とのこと。
当時の各社が採用していた形式は次のような感じだそう。
- A はオーケストラを表す
- B はマーチングバンドやコンサートバンドを
- S はストリートバンドを
- D はダンスバンドを表す(グレッチ社)
- 2B が太いスティックで一番広まっていたタイプ
- 7A が細いスティックで一番広まっていたタイプ
この基準からすると 7A はオーケストラ用なイメージということになる。ジャズやロックで使うにはちょっと細いし短すぎる*1と思ってたけれど、オーケストラならちょうどいいのだろう、と納得がいく。
上記事中にもあるように、現在では各社ごとに独自のシステムで自由につけた型番も多くなっている。が、Zildjian 社や Vic Firth 社などのトラディショナルでスタンダードなものは、この数字+アルファベット式だ。
定番のスティックがもともと使われていた用途のイメージを理解し、自分に適した製品を選ぶ上で、この紹介が役に立てば嬉しい。
*1:Vic Firth 社ので 13.7×394
講座動画 "The Origins of Jazz" メモ
Jazz at Lincoln Center's JAZZ ACADEMY による初期ジャズの解説動画を見た(といっても映像はキュレーターの人が喋ってるだけだけれど)。
内容的にはジャズ史の本を読んだことがあればだいたい書いてあるような感じだったが、いくつか興味を惹かれる点があったので記しておく(〔〕の中は私の意見・推測):
- コンゴ・スクエアで行われていたアフリカ系音楽は何世紀にもわたって毎週日曜に公開されていた〔がために広範な影響を持ったようだ〕。(#3)
- バディ・ボールデンは間違いなくコンゴ・スクエアの音楽を聴いてた(#4)
- もともとジャズは集団的な即興として始まっていて、ソロはなかった。〔現代ジャズとかたちは違えどソロがない点では一致する〕(#6)
- 〔ソロを取るスタイルが自然発生したのかキング・オリヴァーがやり始めたのかわからないけど、ルイ・アームストロングよりは先行してる。洗練させたのはアームストロングなのだろうけど〕(#7)
リスニング力が充分でないのできちんと理解できた自信がないがこんなところ。
Jazz at Lincoln Center's JAZZ ACADEMY の YouTube アカウントは他にも教則的な動画などを多数公開しているので、積極的に利用していけたらよいのだが(仮定法過去)。リスニング力の向上が望まれる。
公式サイトもあるようだ
- Jazz at Lincoln Center's JAZZ ACADEMY - http://academy.jazz.org/